『臨床医』
奇妙な姿であるが、一人の男を想定させるに足る位置関係である。
帽子の下の鳥かごには二羽の小鳥がおり、一羽はかごの中、もう一羽はかごの外に設えた台の上に止まっている。
鳥かごの出入り口は開放されているので、出入りは自由である。
男の両手は、右は杖、左はバックを各持っている。つまり、小鳥を捕らえることはしないという証でもある。
霞んだ空と海の背景、座している場所は砂地か岩場であり、豊穣の地ではない。
これらの条件が『臨床医』であるという。
ということはこの男が臨床医ではなく、この男を見る鑑賞者が臨床医ということらしい。
男は任意の男と言うより、作家自身であり、(わたしを診断してくれ)という関係である。
世界は開放されているのに、自分は居住の囲いから出ようともしない。夫婦二人、自由は約束されているのに、この空間の平穏な生活を甘受している。
カバーに暗示される外部との隔絶、すべてを閉ざしているわけではないが、すべてを明け透けに曝すのも苦痛である。
小鳥の白さに象徴されるように、わたしたちに後ろめたい隠し事はない。
また、飛び出そうという野心もなく、鳥かごのような小さな空間に平和を感じ満足している。
臨床医を委ねられた鑑賞者としては、肯くより術はない。
(写真は『マグリット』より/西村書店)
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