ああしよう、こうもしようと考える。けれど、ふっと気づくと時間の方がわたしを先回りして過ぎていくので、わたしはその後ろを見送るしかない。
すなわち、諦念である。
願望がことごとく欠落していく喪失感に苛まれていくうちはいいけれど、次第に鈍感になり、どうでもいいと自嘲する。そして何も感じなくなってしまう。
この怠情が怖い。
(このまま死んでいくの?)
「死ぬ前に何がしたい?」と、神が聞く。
(・・・)具体案など皆無であることに気づく。
どうせ・・・、どうせ何?
マイナスのスパイラルに堕ちていく。
今日できること、大切なのは当たり前の日常である。スムーズに終始が合えば、それが幸福というものではないかと思う。
それが一番困難な闘いであり、平和と称するものである。
怠けていられる日常を甘受している。
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