鳥の見しものは見えねばただ青き海のひかりを胸に入れたり
ずっと向こうに見える鳥、彼が見たものは何だろう。知る術もなく鳥を傍観している。
そしてわたしは、ただ青い海のひかりを胸に収めている。
鳥と海との交錯する空間距離。見るというのは直線的時空である。鳥の見ている方向と、わたしの鳥を見る視界が一致することは無い。
鳥は他者である。万人それぞれが異なる視野で異なる対象をまなざしに収めている。小さな目という器官に絶対の信頼を置いているが、それぞれ各人もって非なる世界を見つめており、潜在意識に合致はない。
現象は揺らぎ転移する。動く雲の如くであれば、それぞれが見る現象には差異、あるいは隔絶が生じる。
鳥の見しものを推しはかる術なく、わたしは海のひかり(光そのものは見えない)を胸に入れたという認識。
あるがままの存在を肯定し、海のひかり(見えているようで見えていない実態を把握しがたい対象としての雰囲気)を心象風景として胸に刻んだことである。
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