素足で歩くことの痛々しさに、痛みを緩和するための処方を考える。生きるための知恵である。
まず《火》を発見し、情報を伝える《言葉や文字》の手段を手に入れた人類の歴史。 他の動物より優位に立ち、利便性(食用/生活用品)のために動物のを平然と行っている。人間の当然の権利であるかの錯覚・・・同じ生物として相手の生命を頂くことの痛みは素足で歩くことの比ではない。
《赤いモデル》・・・捕獲した動物を気絶させ、放血して殺すことのおぞましさ。
わたし達はこの慣習に目を瞑り、人間の優位を特権として日常生活を送っている。
今を生きるものの生命を頂く、その尊厳を奪うことの罪には触れない。同等である人殺しは需要な犯罪であるにもかかわらず・・・。
人間の奢り、罪深いことを悟ったうえでの日常に犠牲というものの本質を問うべきだという訴えである。
(写真は国立新美術館『マグリッㇳ』展/図録より)
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