続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

デュシャン『急速な裸体たちに横切られた王と女王』

2016-10-10 07:00:33 | 美術ノート

 『急速な裸体たちに横切られた王と女王』

 急速な裸体たちの意味が不明である。裸体たちは二人以上、あるいは群衆であるが、急速という形容に結びつかない。すでに言葉の結合が壊れている。
 王と女王を横切るという意味も不明である。一つ一つの言葉(単語)は理解できるが、その羅列には目的も結果も見出せない。

 つまり作品も、そういうことなのである。
 描かれた線描は意味ありげであり、少なくとも何かの形を想起できないこともないというものの接続である。

 鑑賞者は作品の意味を見出そうと思考する。この場合すでに耽美的領域を外し他の概念を当てはめようと試みるかもしれない。しかし、行き着く合意に至ることは不可能である。
 なぜならそのように意図して描かれているからで、デュシャンの目的は描いたものを肯定的に鑑賞する眼差しを拒否しているからである。

 デュシャンが、作品(タイトル共)を描く、あるいは鑑賞者の前に提示するのは作品そのものを鑑賞させるためではない。鑑賞者と作品の間の亀裂ともいうべき《空気、空虚感、困惑、混沌など》を感知させるためなのではないか。
 微妙な虚脱、断絶ともいうべき見えない壁、デュシャンは作品と鑑賞者の間に生じる空気《非存在であるが存在している》を差し出したのだと結論する。


(写真は『マルセル・デュシャン』美術出版社刊)


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