続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

デュシャン『パリの空気50㏄』

2016-07-24 07:16:34 | 美術ノート

 『パリの空気50㏄』
 ガラスのアンプル(注射器)が吊り下げられている。

 空気という混合気体を㏄で測る?
 空気は見えない、認識不能なものを指し、なおかつその量まで示し『パリの空気50㏄』とする提示。
 密度・比重などを厳密に測ることと異なり、視覚だけで地球上の他の空気と比較する術はない。
 判別不可能なものを提示して「これがパリの空気50㏄である」と表現する。
 鑑賞者は(そうでないかもしれないが、そうなのかもしれない)と懐疑的に、否、納得してこのアンプルを見つめる。(しかし、ここに意味があるだろうか)という疑問は残る。

 空気(気体)であることは確信できる、50㏄というのも50㏄のアンプルであれば、その水量に等しい体積がある。パリの、というのもパリであれば疑いようがない。

 アンプルの中の空気という提示は、使途不明であり、意味の剥奪である。たしかに現存しているが、意味(目的)の不在があるのみであり、ガラスで隔絶されたこの空気には情感(気温・風・香り等)がない。見えているが、見えていないのである。

 鑑賞者は作品を前に、意味を否定し、無意味を知る。意味の不在の象徴に翻弄されると換言した方がいいかもしれない。


(写真は『マルセルデュシャン』㈱美術出版社より)


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