始まりも終わりもない循環、巡る月日、46億年の世界の刻み、繰り返される太陽と地球の関係、太陽系の輪は常に自転車の車輪に等しく存在し時空を刻んでいる。始まりは確かにあったかもしれないが、決定的な証明も解明されぬまま、ひたすら時は巡っている。
わたしたちは今どこにいるのだろう。車輪を回転させると車軸は見事に消失してしまう。存在するが、認識の困難な時空の膨大な重なりの中の一刹那である。
自転車の車輪は想像を飛躍させる器具に過ぎないが、世界は酷似、相似形である。この極小を回転させる愉快は小さな創造者たりうる。デュシャンの痛快な思い付きは、しかし、ひっそりと内密な遊戯と化し、触れる手に快感を走らせるに違いない。
思い(想像)と現実は遠く離れているが、結び付けるツールの発見は楽しい。
写真は『DUCHAMP』 www.taschen.comより
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