草地の黄金をすぎてくるもの
ことなくひとのかたちのもの
けらをまとひおれを見るその農夫
ほんたうにおれが見えるのか
まばゆい気圏の海のそこに
(かなしみは青々ふかく)
ZYPRSSEN しづかにゆすれ
鳥はまた青ぞらを截る
(まことのことばはここになく
修羅のなみだはつちにふる)
☆総て弐(二つ)の講(はなし)を混ぜ兼ねている。
納(受け入れると)二つが現れる。
化(教え導くこと)を兼ねた皆(すべて)の章(文章)は、償いと弔(死者を悼むこと)にある。
照(あまねく光が当たる=平等)を説(主張する)修羅(わたくし)です。
しかし、そうでなくても、その人を待っていただけの甲斐がありました。その人エルランガーだったのです。ご存じありませんか。クラムの第一秘書のひとりです。弱弱しそうな、小柄な人で、すこしびっこを引いています。
☆しかし、(死の)大群が待っているkとに、いつもは報いるのです。それはエルランガーです、彼を知りませんか。彼はクラム(氏族)の内密に賞讃された先祖です。先祖は弱々しい小さな集団でしたが、終わり(始まり)に、我来たりと言ったのです。
「原因は何だったんでしょうね」と医師。
「さぁ、座りっぱなしで動かない生活ですから・・・」
ともあれ、めでたく半年間の薬の服用期間は過ぎ、再検査も無事クリアー。
《明日は何が起こるか分からない》気を付けて暮らしたい。
港に対する攻撃
(港に対する)って何?
港とは、単に海岸線ではなく船舶の安全な停泊を約束し、人の乗り入れや物品の出入りを可能にする拠点であり、繁栄のためのエネルギーの交換がなされる場所である。
それぞれの世界が合流し離散していく接点は、叡智が導き出した未来を切り開く要でもある。
その港に対する攻撃…大量のエネルギーが交錯する空間であれば、新しい風が巡回しなだれ込んでくる。
港における時空の集積である記録(歴史)は、常に次世代の風に追い立てられている。見えない空気の巡回、積み重ねられた過去のデータを塗り替え踏破していく港という空間は、予期せぬ時代の空気に無抵抗に曝されている。
(写真は神奈川県立近代美術館/若林奮『飛葉と振動』展・図録より)
すべて二重の風景を
喪神の森の梢から
ひらめいてとびたうからす
(気層いよいよすみわたり
ひのきもしんと天に立つころ)
☆字を自由にすることを普く計(もくろんでいる)。
喪(死、失うこと)の真(まこと)を、審(つまびらかにする)章(文章)である。
記には双(二つ)を展(ひろげる)律がある。
ずいぶんおそい時刻でしたからね。わたしは、その人を待つことにきめました。まだそこに残っているちょうどよい機会でした。わたしは、あなたによくない知らせをもって帰らなくてもよいように、ずっと残っていたかったのです。
☆わたしは彼を待つ決心をしました。まだ来世は閉じたままでしたので都合が良かったのです。わたしはあなたに忍んでいる(噂)の報告を持って行かないように来世に留まっているのです。
初雪・・・嬉しいような辛いような、でも雪かきをするほど積もらず、雪景色をカメラに収めることは出来なかった。高齢になっての雪かき作業は困難かも知れない。数年前には滑って転んでも笑って済ましたけど、これからはそうはいかないかも・・・。
中に犬・飛び方
中に犬、と説明されなければ、不明な形態である。
飛び方。犬においては通常、自然あるいは自動的に飛ぶのだという感想しか抱いていない。ゆえに、改めての「飛び方」は、見解として新しい発見という驚きがある。。
しかし、(道理)なのである。犬としての身体的な機能ではなく、地球における生命体の地上を離れる瞬間の雰囲気、物理的な条件と生命体の出すエネルギーとの反発しあう空気感(振動)を、物量に置換、試算した結果の作品化なのだから。
重力(自然法則)に対する反発(上昇)のエネルギーの多量が(飛び方)を可能にする。「犬が飛ぶ」ではなく「中に犬、飛び方」というのは、その振動する空間を切り取った光景であり、飛ぶという行為の説明(証明)だからである。
(写真は神奈川県立近代美術館若林奮『飛葉と振動』展・図録より)
陥りくらむ天の椀から
黒い木の群落が延び
その枝はかなしくしげり
☆換(入れかえて)展(広げ)One(一つ)を告げる。
黙って群(その集まり)を絡(つなげると)、掩(かくした)詞(言葉)がある。
ーから出ますと、ずっと奥のほうの回廊かrひとりの紳士がゆつくりこちらへやってくるのが見えるではありませんか。ほかにはもう人影もありませんでした。
☆ずっと奥の回廊から先祖の大群がゆっくり近寄ってくるのが見えました。他には、すでに遅かったので、(死人たち)はもう一人もいませんでした。