家から歩いて10分程度のところにある修学院離宮。
新緑の庭はどのようなものだろうと、午前中に予約を済ませて午後1時30分から見学。
パンフレットより修学院離宮の歴史↓
修学院の名は、10世紀後半ここに修学院という寺が建立されたのが始まりであった。
南北朝時代以降この寺は廃絶したが、地名は修学院村として残った。
修学院離宮は、桂離宮に遅れること30余年、明暦元年から2年(西暦1665~1656年)にかけて、後水尾上皇によって造営工事が起こされ、万治2年(1659年)頃に完成した山荘である。
その歴史を感じながら門をくぐった。

掃き清められた砂利道を歩くのは清々しい気分になる。

見学者は30名あまりと少なかった。
参観者休憩所が出発点で、ビデオの解説を10分ほど見てから出発。

下離宮の御幸門をくぐって寿月観へ。

寿月観三の間の襖には泊舟が描かれている。

寿月観一の間の虎渓三笑。

比叡山も借景に含まれている。

中離宮に入る。



楽只軒の霞がたなびいているように見える霞棚のある間。


楽只軒は光子内親王のための最初の建物。

上離宮への御馬車道。
明治天皇の時に畦道から馬車が通れる道になったとのこと。

上離宮の御成門。

上離宮から見た御馬車道。

一番上の隣雲亭から見た浴龍池。

千歳橋。

千歳橋の屋根には金の鳳凰があしらわれている。

隣雲亭から浴龍池を見るための窓。

土橋。





新緑が溶け込んだ浴龍池は見事だった。

1時間15分程度で3kmをぐるりと見終わると、足に疲れがでるくらい。
自然の起伏や風景をふんだんに取り入れた離宮は、四季折々楽しめそうである。
今度は田植えの季節ぐらいに見学したいかも。
新緑の庭はどのようなものだろうと、午前中に予約を済ませて午後1時30分から見学。
パンフレットより修学院離宮の歴史↓
修学院の名は、10世紀後半ここに修学院という寺が建立されたのが始まりであった。
南北朝時代以降この寺は廃絶したが、地名は修学院村として残った。
修学院離宮は、桂離宮に遅れること30余年、明暦元年から2年(西暦1665~1656年)にかけて、後水尾上皇によって造営工事が起こされ、万治2年(1659年)頃に完成した山荘である。
その歴史を感じながら門をくぐった。

掃き清められた砂利道を歩くのは清々しい気分になる。

見学者は30名あまりと少なかった。
参観者休憩所が出発点で、ビデオの解説を10分ほど見てから出発。

下離宮の御幸門をくぐって寿月観へ。

寿月観三の間の襖には泊舟が描かれている。

寿月観一の間の虎渓三笑。

比叡山も借景に含まれている。

中離宮に入る。



楽只軒の霞がたなびいているように見える霞棚のある間。


楽只軒は光子内親王のための最初の建物。

上離宮への御馬車道。
明治天皇の時に畦道から馬車が通れる道になったとのこと。

上離宮の御成門。

上離宮から見た御馬車道。

一番上の隣雲亭から見た浴龍池。

千歳橋。

千歳橋の屋根には金の鳳凰があしらわれている。

隣雲亭から浴龍池を見るための窓。

土橋。





新緑が溶け込んだ浴龍池は見事だった。

1時間15分程度で3kmをぐるりと見終わると、足に疲れがでるくらい。
自然の起伏や風景をふんだんに取り入れた離宮は、四季折々楽しめそうである。
今度は田植えの季節ぐらいに見学したいかも。