「百大夫と四人の西宮ゆかりの国民栄誉賞受賞者―森繁久弥、森光子、服部良一、遠藤実と題する文化講演会が講師、小西巧治、西宮芦屋研究所副所長を招き、5月20日(月)午後1時半から西宮文化協会五月行事として開かれ楽しみに出かけた。会場の様子をスケッチした。
冒頭、武智当会副会長逝去に1分間の黙とうのあと吉井良昭当会会長は「兵庫県、西宮市などの生涯学習講座、NHK文化センターの講師を務め、新聞、テレビ、ラジオなどへの阪神間文化情報提供や出演の小西巧治先生からいままで聞いたことがない話など聞けると思いますので楽しみです。」と挨拶した。
小西氏は震災後亡くなった絵馬殿を百大夫神社前に再建した絵を会場正面に映したあと「西宮は人形操りの発祥地である。古くから百大夫神を祀った。」と話しを始めた。「西宮ゆかりの定義(条件)を①西宮で芸能活動をしていた。②生まれたか、育った。③学校へ通っていたか、卒業した。④西宮に住んでいたか、住んでいる」とすれば実に多くの芸能人がいる。」と話しを進めた。
西宮には国民栄誉賞受賞者が4人いる。服部良一(生まれ年:1907)、森繁久弥(1913)、森光子(1920)、遠藤実(1932)。国民栄誉賞とは広く国民に敬愛され、社会に明るい希望を与えることに顕著な業績があったものについて、その栄誉を称えること。1977年(昭和52年)に福田赳夫総理時代に始まった。国民栄誉賞では長嶋茂雄はじめ多くのスポーツ関係者が受賞している。
上記の西宮ゆかりの人の4つの条件を満たしのは森繁久弥だけだ。森繁久弥は生れは茨木市。鳴尾小学校入学。鳴尾時代、森繁久弥の父親は佐藤紅緑と家が近く交流があった。上級学校への入学を心配した母親が堂島高等小学校へ転入させ北野中学に入学。昭和11年(1926)軍事教練を拒否。東京宝塚劇場新劇団に入団。昭和14年にNHKアナウンサー試験に合格。満州新京中央放送局を経て昭和21年帰国。宝塚映画撮影所が全焼(昭和28年)、アメリカ博覧会(昭和25年)で使われた2つの建物を西宮北口撮影所とした。そこで森繁久弥は「喧嘩駕籠」に出演している。ヨットマンの森繁久弥は三浦半島から再三西宮港まで航行している。西宮には触れていないが「あっぱさん船長」に出演している。」と紹介、ヨットを楽しむ森繁久弥の映像を映した。1991年、没後、「国民栄誉賞」を受賞した。
残り3人の国民栄誉賞受賞者は西宮にあったレコード会社とつながりがある。服部良一は1907年、大阪で生まれる。1923年、出雲屋少年音楽隊入隊。1925年に解散。あと西宮ダンスホール、タイヘイレコードなどで編曲・作曲した。1933年、上京しコロンビア作曲家として入社。1949の「青い山脈」は六甲山脈を見た時に歌詞が生まれた。ブギウギのルーツを阪神間にたどれば、服部良一、笠置シズ子、榎本健一などが挙げられる。
森光子は1920年、京都木屋町の割烹旅館の女将の長女として生まれた、西宮タイヘイレコードで「白衣の勇士を送る歌」を収録するも不認可となり歌手を目指して上京した。1942~4年、朝鮮、満州、シンガポールなどを慰問した。1954年、34歳のとき宝塚芸術座に特別出演。そのころ西宮北口に住んでいた。37歳のころ大阪テレビ「びっくり捕り物帖」が大ヒット。西宮祭りにも参加、特設舞台と藤田まことなどと撮った昭和33年(1958)の映像が会場で紹介された。38歳の時、「あまから人生」に出演中に菊田一夫の目にとまり「東京芸術座」で「花のれん」に出演。1961年、41歳で芸術座「放浪記」で初出演。2005年、85歳で「文化勲章」を受賞した。89歳のときに俳優ではじめて生前授与となる「国民栄誉賞」を授与された。
遠藤実は1932年東京・向島生まれ。戦時中、両親の故郷の新潟に疎開。1949年、歌手を目指し上京。「流し」をしながら独学で作曲を学んだ。1954年、レコード会社、マーキュリーに入社、星幸男のペンネームで作曲した。1957年「お月さん今晩は」歌手、藤島恒夫で大ヒットした。以後ペンネームを本名の遠藤実で作曲した。ペンネームでは橋幸男が舟木一夫になりかけたエピソードが残っている。
レコード会社と西宮とのつながりは深い。1942 年、国家総動員令でタイヘイレコードはキングレコードの親会社・大日本雄弁者(後の講談社)に強制的に買収。キングレコード西宮工場となり航空機部品を生産した。1949年、キング東京が火災で西宮が主力となった。「テネシー・ワルツ」で大ヒットした遠藤実が作曲家としてデビューした。(1952年)東海太郎、岡晴夫、田畑義男、藤島恒夫、西田佐知子など隆盛を極めた。
現在の西宮文化活動では2025年、兵庫県芸術文化センター会館20周年を迎える。平成最後の文化勲章受章者の故山崎正和氏が同センター設立を提唱、初代芸術監督に就任した。五人目の国民栄誉賞は誰か楽しみです。河内篤郎氏は「百大夫は人形芝居の祖神であるが、人形芝居にとどまらず阪神地域の傑出した芸能者や芸術家、これを広義の「大夫」と見なし、顕彰する広場「百大夫広場」を阪神「西宮」駅前につくろうと提唱している。絵馬殿の再建と併せ夢が広がると会場に映像を紹介した。小西さんは後10分あると事務局と確認の後質問の時間になり、先代から親子で当会会員の参加者とのやりとりなどもあり和やか雰囲気の中、お開きとなった。
貴重な機会を用意いただいた西宮文化協会事務局にひたすら感謝である。(了)