思索の日記 (クリックで全体が表示されます)

武田康弘の思索の日記です。「恋知」の生を提唱し、実践しています。白樺教育館ホームと共に

皇軍精神のゼレンスキーを日本人は大好き!のよう。

2025-03-01 | 社会批評

皇軍精神のゼレンスキーを日本人は大好き!のようです。一億玉砕、鬼畜米英思想の悠久のわが日本国。第三次世界大戦も辞さず、戦争大好きの歴史をもつ欧州を味方に、ウクライナよ最後の一人まで戦え~~~~というのでしょう。わたしは人命第一主義。すぐ停戦すべきだ。

武田康弘 

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天皇誕生日を祝わない日本人は、非国民とみなされます。天皇陛下万歳!!?? あれ~~~

2025-02-25 | 社会思想

天皇制国家日本には言論の自由さえないのです。テレビも新聞も天皇制についての言論は一切禁止です。明治憲法下に戻っています。統制され馴致された国民は、自由 平等が奪われていることさえ気づきません。カルトは知らずにふつうになり、みな家畜のようです。


白井 善夫
平成天皇が安倍と比べて護憲だの
秋篠宮が横暴だの
あいこさんがいいとか
天皇の人格云々で天皇制の賛否が問われるのでなく
天皇制そのものに反対です
 
武田 康弘
明治政府が作成した国家カルトを引きづる日本人は、根源的な反省がないと、人間としておわりです。
「明治政府がつくった天皇という記号」pdf をぜひご覧ください。
Katsube Hirofumi
民間の会社組織でも、ワンマンで絶対的な力を持つ人を「天皇」と呼び絶対服従する場合があります。
以前の日大理事長、昨今話題になっているフジテレビの会長などが良い例です。
大学の体育会系の連中も1年生は「奴隷」で4年生を「天皇」と呼びました。
この国では、天皇は、国家、国民の象徴ではなく、「権威」の象徴です。
総理大臣や大統領に例えるなら、トップが気に入らなければ別の人間に変えるという発想になります。
仮に、「独裁者」に例えたとしても、勇気を持って反旗を翻(ひるがえ)すという発想が生まれます。
しかし、トップを「天皇」に例えると、神聖にして不可侵の存在として扱うので、組織は腐っていきます。

 

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大国ロシアへの経済制裁は、超がつくおバカ。

2025-02-19 | 社会批評

大国ロシアを封じ込めるのは、超がつくおバカ。日本も一刻も早く正常化すべきだ。日ロはお隣同士、仲よくすれば福が来る。敵対というのはありえない選択だ。プーチンは日本に少しも敵対していない。

武田康弘

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憧れ想うという恋心がなければ、人間的現実は成立しません。

2025-02-18 | 恋知(哲学)
わたしたち日本人はとりわけ誤解していますが、
現実の損得利害という次元も、憧れ想うという恋する次元に支えられなければ、ほんらい成立しないのです。

ものやお金、さまざまな知識、それらがどれだけあっても価値は生じません。
そこに意味と価値を生じさせるのは、惹きつける=魅了するという作用です。それは「恋心」と呼ばれますが、何かに惹きつけられるという恋心が生じることで、はじめてわたしたちを取り巻く世界は意味をもち、色づきます。灰色の世界から彩色の世界に変貌するのです。
 
だから、ロマンや理念の世界が豊かに広がることがないと、人間にとっての現実は成立しないのです。色を失った魅力のない事実人(犬ではなく人であるというだけ)と事実学(意味論のない受験知)だけの世界に陥ります。

多くの日本人は、この人間の生の原理を知りません。逆転しているので、いつまでも不幸です。

小学校から大学まで、このフィロソフィーの根本意味を教えていません。だから、恋心にとらわれることなくしては、ほんらいの学も知も成立しないことを知らないのです。

ただの「事実学」の羅列、その取得-暗記に耐える苦行が知や学だとしています。意味論=本質論こそがほんらいの知であることを教えない教育は、人間抑圧のアイテムにすぎません。昔の白黒映画「ローマの休日」は、恋が人を人間に変えることを教えています。
古代ギリシャ神話で、規則主義・管理主義で厳禁の精神=「必然の神アナンケ」を打ち負かしたのが「恋心の神エロース」です。人を支配するという発想をもたないエロース神が世界の中心になってはじめて、外的秩序の強制(古代王政)から、一人ひとりの自由と悦びの内的秩序による国(ポリスの民主政)が生まれました。

エロース(惹きつけるもの・恋心)は、『個人』の中にしか生じませんし、
また、個人はエロース豊かに生きることで、わたしの存在を肯定でき、意味充実の生の世界を拓くことができるのです。

【恋知への道】(武田著)より。


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狂気の外務省に呆れる ! 天皇・皇族問題は、人権を超越している!!??

2025-01-29 | 社会批評
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fbのタケセン語録。3つ

2025-01-28 | 社会批評

わたしは日々謝る(笑)ごめん!悪い!間違えた! でも、謝らない人も多い。ちっとも謝らない。謝れない人間になっている。嫌だなと思う。素直に・正直に、がなく、自我のツッパリで謝ることができない。人生の大損だし、自分も皆も不幸にする。
ーーーーーーーーーーーーーーー

小学低学年からお受験プログラムで東大合格、私の親戚の子は幾人もこの方法。ペーパー受験知ですから実力はつきようがありません。「優秀な」家畜・奴隷・自動人形です。創造力・思考力・現状変革力・内からのパワーなどあろうはずがなく、ザ・ニッポン人です。システム内存在
武田 康弘
明治政府が作成した(元は吉田松陰でありさらには水戸学)天皇教ー天皇制を日本の伝統と思っているひとばかりなのは、東大病=官僚主義=天皇教だからです。三者一体による超おバカの支配構造で、それをアメリカ政府(トルーマン)とアメリカ軍(マッカーサー)が見事なまでに利用して権威の象徴として天皇を温存して、米国の永久支配を続けるわけです。
東大生も教授も官僚も知らない。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
 
女性を上納するのが芸能界やそれと関係する組織だと昔から聞かされてきましたが、歪んだ気色悪い世界ですね。麻薬も同じですが、善美への憧れ心を失えば、人間はすぐ堕ちます。わたしが敬愛する芸能人は植木等さん一人。今の人は見ないので知りません。


武田康弘
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おくれました(謝) 新年おけでとうござます。年賀はがきです。

2025-01-27 | その他

fbばかりで、BLOGの更新が遅れました。失礼しました~~~(謝)

2025年のご挨拶ー年賀はがきのコピーです。



〒270-1152 我孫子市 寿2-27-11  武田康弘

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ドイツでの新型コロナ 大陪審、核心部分18分で、必見です。

2024-11-27 | 社会批評

ドイツ 新型コロナ 大陪審の核心部分18分で、必見です。

ななこさん、お知らせくださいありがとうございます。

 

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事実学(ただの教科の暗記と解法)の累積は、単なる事実人(猿ではなく人ではあるだけ)に陥る。日本には教育がない。

2024-11-27 | 恋知(哲学)

Fb短文 2024、11後半    武田康弘

 

 ソクラテスは、「育ちのいかがわしい者をフィロソフィーに近づけるな」と言いました。善美への憧れを持たず、真実を追求せず、お金や有名であることや地位という外的価値に従う人=恩を忘れる人(自我主義者)、それが育ちの悪い者です。

 

 「エリート」(学校知の勝者)は、表層知=活字・知識に支配されて盲目だ。人間力の豊かさ=真実に乏しく、社会的評価を人生の意味とする。ほんものの愛情がなく、ほんものの理性もない。事実学(ただの教科の暗記と解法)の累積だけなので単なる事実人(猿ではなく人ではあるだけ)に陥る。恋知がないので魅力なしで気味わるい。

 人間の生きる目的は、恋知(哲学)すること、音楽や美術を味わい、創造すること、恋する=憧れること、でも、そうではない文化が蔓延して、先進国の人間ほどダメな存在に墜ちてい。目的は金と権力と愛なきセックス??(笑愚)

 日本の親は、こどもに豊かな人間性を開花させることは興味がない。聞こえのいい学校に入れることが第一。人生の意味も目的も知らないので、何も教えられない。わたしはとても恵まれていたが、多くの子は、時間と共に魅力を失い一般人に沈んでいく。哀しい。

武田康弘

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第2回「日本共和主義研究会」会合のお誘い。 日時 11月17日(日)午後2時~

2024-11-11 | 社会思想

Katsube Hirofumi (勝部裕史)   

fb 

1日前  · 
 
第2回「日本共和主義研究会」会合のお誘い。
日時 11月17日(日)午後2時~
場所 白樺教育館 (我孫子市 寿 1-20-1 ワクワクランドリー右折すぐ 寿保育園裏門前)
講師 武田康弘(タケセン)
参加費 1000円

【内容】(予定)
「公共」という考え方について
直近の国政選挙、米国の大統領選挙もあり、政治というものについても考えていきたいと思います。
タケセン曰く
『政治家の中には「国家のために」という言い方をする人がいますが、これは明らかに間違いです。』
(『恋知』-「私」の生を輝かす営み 第3章 民主制・公共思想 (クリック)より)
なぜだと思いますか?

そんなところから話の取っ掛かりになるかもしれません。

白樺教育館 我孫子市寿1-20-1
04-7184-9392
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11月30日(土)の哲学対話は、哲学の中心=認識論と言語論です。五反田アイアイスクールで。

2024-11-07 | 恋知(哲学)

6月22日(土)の続き 11月30日(土)の哲学対話は、哲学の中心=認識論と言語論です。易しく、役にたつ講座&対話です。

お申し込みは、五反田アイアイスクールまで

6月22日(土)の会が終わった後で、スタッフのみなさんと。

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11月3日(日)午後2時~4時は、第一回の「日本共和主義研究会」を白樺教育館で

2024-10-29 | 社会思想

11月3日()は、第一回の「日本共和主義研究会」を白樺教育館でします。
2時から4時まで。わたしが参議院調査室で官僚に講義した内容も入れてお話します。
どなたでもご参加できます。ぜひお出でください。参加費は千円です。資料付き。








武田康弘


白樺教育館 我孫子市 寿 1-20-1    ☎04-7184-9392





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アメリカはいまだ反省も謝罪もなし、天皇裕仁の原爆容認発言に従う傀儡政権、不退転の戦いはサイの「ナーズムオラトリオ」=広島で死んだ女の子

2024-10-11 | 芸術

いつも戦争の米国は、原爆投下への謝罪と反省いまだなし(憤)。日本政府は天皇裕仁が下した原爆容認に従い、米政府の傀儡。トルコの故ナーズム ヒクメットとファジル サイは「ナーズムオラトリオ」(1時間20分)で不退転の戦い=広島の死んだ少女への深い哀悼は、全世界が感動。URLを貼る。

「わたしが生きたと言えるために」

ファジル・サイ賛    ピアノ演奏と「ナーズムオラトリオ」

クリックで飛びます。ぜひ。


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恋知者(哲学者)とは、「恋に生きるエロースの人」(ソクラテス)

2024-10-07 | 芸術

恋愛や芸術(音楽、美術、文学・・)やフィロソフィー(恋知)は、目的であり、何かのためという手段ではありません。だからソクラテスは、恋知者(哲学者)とは、「恋に生きるエロースの人」と定義したのです。キリスト教ではエロースを邪とします。ほんとうは二律背反ですが、ギリシャの知を換骨脱胎してつくったのが西欧のキリスト教思想です。騙されないように。

プラトン著のソクラテスの対話編「パイドロス」をお読みください。岩波書店のプラトン全集では、共に傑作の「饗宴」と一緒になっています。文庫版とは訳者が異なります。入手可能なら全集版をお勧めします。脚注もあり、理解が深まります。

Amazonなどで中古が買えるでしょう。

武田康弘

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「脳幹」 恋知=哲学とは、脳幹を鍛えること。キーは「反芻」

2024-09-26 | 恋知(哲学)
古林治さんがわたしの写真とビデオ(押し相撲)を載せて、体幹を鍛えることの重要性を書いていましたので、
それでは、脳幹!?を鍛えるとは?と思い、書いてみました。
体験談です。
ーーーーーーーー
 
わたしは、考える力(脳幹?)が強いのですが、
それは何故か?とふり返ってみました。

幼いころからの毎日のような父との対話、なぜ?どうして?が基礎なのですが、
それは、いつも考える問題(自分自身の関心)があって、それを質問していたのです。
だから、教えられた通りに考えたり、やったりしないのです。納得がえられるまでシツコイのです(笑)。 なんで、それはなんで・・・・ 分からない、うん、ずっとずっと考える~~

だから本を読んで、とは大きくちがいます。小さなときから「本に頼る人は馬鹿だな~~~」と思っていました。点数のいい人と話すと、「ああ、自分で考えていないな」と思いました。それではダメだ。利口な人は馬鹿だな、と。

それで、父は結論を求めないし、言いもしませんでした(断言するタイプでは全然ないのでした)。なので、いつも自分で反芻して考えていました。結論は出ても、それをまた考えるのです。反芻です。シツコク反芻です。それが習い性になり、今でもずっとそうです。結論はあってもないのです(笑)

なので、「こうだ」という言い方をする人が嫌いです。嫌いでも付き合いますが、ああ、ダメだな~~と思っています。わたしは、小学生の算数を中心に教科の問題を教えていますが、いつもはじめに戻って(まだそれを知らな子どものように)考え、教えます。それは反芻と同じで、絶えず、考え直すわけです。でもこれは、相手(こども)に意味を追うことを求める結果になるので、頭の楽しい労働です(笑)。

この反芻の繰り返しと強度が、思考する頭をつくるのではないかな? と思います。効率よく、ではなく、教えてもらい、ではなく、自分で自分の頭で反芻して考える。というわけです。

また、それとダブるのですが、わたしは、言語で覚えない。書き言葉(=活字)を覚えるのではなく(それが苦手)で、イメージ記憶なのです。イメージ、 必要だな、価値があるな、と思うイメージを思い浮かべます。これもシツコイです(笑)。意味と価値があると思うイメージを反芻します。楽しいし、面白いし、嬉しいからです。そのイメージから必要な時に言語化しますので、同じようなことでもその時その場で、言葉が変わります。変えているのではなく、自動的に変わります。イメージは言葉ではないので、言葉から言葉へ、ではないからです。

言語は好きでなく、色や形や音が好きなのですが、でもなぜか、小学1年生のときから、作文は最高評価をつけられ、学校代表、在校生代表、卒業生代表、とされてしまい、なぜだか分からずいつも戸惑いです。文学少年ではなく、作文の練習などしたことは一度もなかったのに。わたしは、読む人に意味がわかるように書こう、という気持だけで、よい文章を書こうとは考えませんでした。

いま、書いているうちに思いました。わたしは現実から立ち昇るイメージの中に生き、何事も反芻しているのだな~~~と。
繰り返しです。筋トレと同じで、考えも繰り返すので、脳の幹がだんだんと自然に鍛えられるようです。恋知=哲学とは想いや考えの繰り返し=反芻=捉え直しのようです。

武田康弘
 
 
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