「ナーズムオラトリオ」 ファジル・サイ作曲 2001年初演(トルコ大統領も列席)クリックで飛びます。
原爆で死んだ少女、紙切れのように燃やされ灰になった7歳の少女は、10年たっても7歳のまま。世界的大詩人ナームズによる悲しみと怒りの哀歌は、ファジル・サイの熱く激しいアメリカ原爆投下への憤りのオラトリオとなり、
人体実験で原爆を落としたアメリカの蛮行を、「神」ではなく「人間」の名で告発し、人間の名で激しく抗議し、人間として悪業と戦い、人間の名で鎮魂した。史上はじめての【宗教を超え神を越えた】この曲は、万人の胸を打ち、万人に勇気を与え、万人を鎮魂する。
作曲者のサイは、こよなく愛する娘と広島で死んだ少女とを重ね合わせてこれを作曲したのが分かる。
演奏者も数千人の観衆も全員が一丸だ。21世紀初年の傑作「ナーズムオラトリオ」は、アメリカの悪業を糾弾し元から正す。少女の魂にはどんな軍隊でも勝てぬ。 ラストは、【どこにいようとも決して死ぬことはないように生きるべきだ。わたしが生きたと言えるために】
【わたしが生きたと言えるために】、と何回もみなで歌います。最後は広島の少女が「わたしが生きたといえるために」(そう生きれなかった)を歌い、深い鎮魂のフィナーレ。言葉にならぬ感動が広がる。アメリカによる人類史上最大の蛮行による死は、トルコの大詩人ナーズム・ヒクメットと同じくトルコの音楽の天才ファジル・サイにより永遠に刻まれた。
少女が歌う詩の日本語訳(中本信幸訳)は以下です。
少女 ナーズム・ヒクメット
開けてちょうだい たたくのはわたし
あっちの戸 こっちの戸 わたしはたたくの
こわがらないで 見えないわたしを
だれにも見えない死んだ女の子を
わたしは死んだの あのヒロシマで
あのヒロシマで 10年前に
あのとき七つ いまでも七つ
死んだ子はけっした大きくならないの
炎がのんだの わたしの髪の毛を
わたしの両手を わたしのひとみを
わたしのからだはひとつかみの灰
冷たい風にさらわれてった灰
あなたにお願い だけどわたしは
パンもお米もなにもいらないの
あまいあめ玉もしゃぶれないの
紙きれみたいに燃えたわたしは
戸をたたくのはわたし
みんさん、署名をどうぞしてちょうだい
炎が子どもを焼かないように
あまいあめ玉をしゃぶれるように
(1955年)
ナーズム・ヒグメット
(トルコの世界的大詩人・共産主義者=無神論者として13年間投獄)
以下は、アメリカCNNテレビ(サイへのインタビュー番組)に書いたわたしのコメントです。
「ナーズム・ヒクメット(トルコの世界的大詩人=無神論者)の詩に少年期より親しんでいたファジル・サイが30歳のとき、トルコの文化庁・文部大臣から依頼されたのが21世紀初年に初演されて大成功を収めた「ナーズムオラトリオ」ですが、
神とか宗教とは無縁の人間賛歌と人間的抒情と人間告発(アメリカ政府と軍によるヒロシマへの原爆投下=人類史上最大の犯罪)で、それは欧米中心の歪んだ文明がもたらした悲劇です。ヒロシマで死んだ一人の少女を謳ったヒグメットの有名な詩=一人ひとりの実存(欧米人のではなく人類の)を中心とする人間性に溢れた深く心をうつ詩に、ファジル・サイは、深く抒情的な曲をつけ、「ナーズムオラトリオ」の中心に据えたのでした。
原爆投下をいまだ謝罪すらしないアメリカは、それゆに第二次大戦後も繰り返し、他国を軍事力で滅ぼしたり、脅したり、数えきれない民間人を殺害してきたのです。自分たちが日常的に人権を犯してきた罪を自覚さえしないのは、人間悪そのものといえます。世界の良心で、言語学の天才=ノーム・チョムスキーの厳しく正しい批判に応えることをしないなら、みなに呪われるでしょう。「自覚した罪は半ば許されている」-何よりも自覚が必要です。」