信長の野望ー天下統一。強い一神教=キリスト教擁護の信長は、欧州のキリスト教徒おなじく、戦いは残虐を極め、非妥協的で、従わない農民たち=南無阿弥陀仏を拠り所とした一向宗(浄土真宗)自治区との戦いにおいては、婦女子もすべて皆殺しの戦略でした。
従わない民は皆殺しの信長が偉人!!??と教える教育は、恐怖の権力者を称揚しているのです。武力で従わせるのがカッコいい!!??という思想を植え付けるドラマや映画やマンガ本は、とんでもない代物ではないでしょうか。
一向宗(浄土真宗)自治区の思想・発想・不退転の態度こそ民主制・民主政・民主性の象徴であることを知りましょう。
今年は親鸞生誕850年、茨城で浄土真宗が開宗されて800年の年です。
武田康弘
小田実の提唱した「ベトナムに平和を」の市民活動に共鳴して、1968年、9年、わたしも高校生の時に、積極的に支持し、クラス委員と全学議長を務めていた高3の時に、わたしのクラスからは、多いときには半数(20数名)が集会とデモに参加しました。
積極的に反戦平和を訴えましたが、今のウクライナへのロシアの攻撃を批判する日本政府やマスコミとはまるで逆で、米軍の残虐な戦争に協力したのでした。毎日、沖縄の米軍基地から爆撃機が飛び立ち、べトナムに無差別爆撃=残虐なナパーム弾でこどもや女性まで無差別に殺害し、北ベトナムの民間人だけでも300万人を殺しました。この破天荒な殺人行為にも、日本政府(佐藤自民党内閣)は、批判するどころか、米軍に協力していたのです。
米軍の残虐さは、目を覆うもので、あらゆる手段でベトナムの全国土を破壊し、残酷な殺しを行う狂気の戦争を続けたのですが、それは、いまのロシアによるウクライナ侵攻=戦争とは全く比べ物にならない酷さでした。
結局アメリカは敗北したのですが、夜郎自大な米軍と政府は、己の侵した悪行・罪を反省し、謝罪し、批判することを怠ったために、その後も幾度も他国を侵略し続けたのです。日本の自民党政府もベトナム戦争への協力を反省し、謝罪し、自己批判することをしないできたために、いままた戦前回帰の国体思想に戻る(保守派議員の大多数がウヨク団体「日本会議」のメンバー)という時代錯誤を演じています。
書くのもいやになるほどの堕落、能天気、夜郎自大ですが、いったい理性はどこにあるのか!?
わたしの高校生の時の考えと行動は、いま振り返ってのまったく正当ですが、米軍と日本政府の考えと行動は、明白に間違いでした。深い懺悔が必要なのはいうまでもありません。
武田康弘
こどもの時から、へんだな~~おかしいな~~不平等だな~~と思っていましたが、
70歳を過ぎても、とってもへん、へん過ぎる~と思います。非国民といわれるかな!!??(笑)
コメント7件
明の障害となっています。
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いまの一世一元の元号は、日本の伝統とはまるで異なり日本史上はじめてのもの。「天皇現人神」(政府が作成した国家カルト教)を浸透させるために策士の岩倉具視がつくったもの。
それも知らないのが東大生(それで頭がいい!?)笑。 元号を使っているあなたは、天皇教徒ですね。違いますか? カルトの洗脳はなかなか解けないようです(哀)。
明治政府がつくった天皇カルト教による全体一致の集団同調主義は、何も変わらずです。反論できる方はいますか?
日本の伝統であった八百万の神という多神教は、天皇を神とする(頂点がある)疑似一神教に変えられ、日本の伝統は、元からひっくりかえされたのです。伝統主義者のウヨク思想のみなさん(日本会議や統一協会)は、ただ何も知らないだけですね。愚かで哀れです。
武田康弘
4年前のブログの再録です。
統一教会問題で、カルト宗教が話題ですが、今、自民党議員の大多数が所属する「日本会議」も天皇カルトでしかありません(哀)。なぜ清算できないのか?
小学5年生の男の子が、戦前の日本の歴史を知り、
「人間が神だなんて、日本って、狂ってたよね」
といいました。
ほんとうにその通りですが、
そういう狂った思想を教えていた戦前の先生、それを強要していた官僚と政治家たち(安倍首相が最も敬愛するという祖父の岸信介はその中心者)。
彼らは、その天皇主義の狂った思想(国家神道=靖国思想=国体思想)を反省したのでしょうか。もう大多数が死去していますが、死ぬ前に、悔い改めたのでしょうか? まだ生きている人は、どう考えているのでしょうか?
また、そういう「狂っている」思想の戦前の権力者の子や孫がたくさん政治家になっていますが、彼らは、小学生の言う真実を受け止め、健全な思想に変わったのでしょうか。どうも全然そうではなく、「戦前思想」を反省するどころか、「狂っている」思想に郷愁を抱いているようです。首相以下、閣僚はほぼ全員、狂っている思想の「日本会議」(ウヨク団体)のメンバーです。
日本という国は、どこまでおかしい国なのでしょう。いつになったら精神の病気は治るのでしょう。小学生の理性は健全ですが、権力者の思想の不健全には言葉もない。
※上の昭和天皇の裕仁の顔を見てください。この表情に「神」を感じる人がいるとはとても思えませんし、人間的な豊かさ・大きさ・優しさも感じないでしょう。無表情で、つくられた顔でしかなく、人間的なよさ・美しさも神をイメージさせる神々しさもまるでありませんね。焦点の定まらない目は死んでします。
武田康弘
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以下は、友人の深谷 志寿さんのコメント(「私はキリスト教は嫌いです」に対して)です。
「日本は一神教ではないのに明治以降は戦争をやりまくっておりました。しかも、日清戦争も、日露戦争も、太平洋戦争も、どれも宣戦布告無しの卑怯な奇襲攻撃で戦争を始めています ( ̄▽ ̄;)。つまり、戦争を始めるのに一神教も、多神教も、アニミズムも、無神論も、全く関係ないということですよ。」
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深谷さんのコメントは、明らかな間違いですので、以下にご説明します。
明治維新政府は、日本が戦争が出来る体制をつくるために、仏教を排して、国家神道=靖国思想(天皇を絶対=神とする疑似一神教)をつくりました。
伊藤博文の慧眼(困)です。富国強兵は、国民全体をひとつにしないと出来ない、そのためには、欧米の強さの秘密=絶対神の信仰が必要で、仏教という神のない平和主義ではそれは不可能なので、皇室を利用して天皇を現人神とするという強烈な国家宗教をつくる必要がある(吉田松陰先生から学んだ水戸学+後期国学による)と考えたのでした。
その伊藤の思惑撮り、天皇から恩寵として臣民に与える憲法=欽定憲法を四人で極秘裏につくり、天皇という名を利用して超国家主義の政治をすすめ、日清日露戦争を行い、韓国を植民地とすることに成功したのでした。
個々人の内面世界=実存としての生を徹底的に抑圧(教育で天皇を崇める滅私奉公を叩きこむ)することができたのは、天皇教という強烈な一神教(しかも「禁じ手」の人間を神とする=オウム教がこれを真似た)によります。
これ以上戦争を続けるならば、「日本全土を壊滅させる」「その準備は整えた」とする世界の歴史に例のない強烈な『ポツダム宣言』が出されたのは、どれほど負けても負けを認めない「天皇という絶対神を信奉する神国・.日本」に業を煮やしたからでした。受諾しなさい=「遅延は一切認めない」と書かれていたにも関わらず、首相の鈴木貫太郎も外務省も皇軍もみなこれを無視したために、広島に原爆が落とされ、ついで長崎(全部で13発が用意され順次各都市に)にとなったのです。
もはや誰の目にも日本全土は原爆で壊滅となった時点で、ようやく負けを認めたのです(これを天皇のご聖断というのですから世界の笑いものです)。
人間を神とするとんでもない一神教なくしては、日本の超がつく連続戦争政策(日清、日露、第一次世界大戦、シベリア出兵=ロシアへの干渉で日本は最後までしつこくやり続けた、満州事変=昭和天皇が関東軍に栄誉を与えたことで拡大し、対米戦争まで14年間の戦争)を続けることは不可能でした。
「上官の命令は天皇の命令と思え!」
武田康弘
ご存じですか?
平安初期の村上天皇を最後に、天皇という名称は日本からなくなったことを。
天皇と名乗った最初の人物=天武(記紀編纂を命じた)から290年余りで、終わりました。
力を失い京都周辺のローカル王になったからです。
以後は、今上とか御門とか・・・と呼ばれ、死後は、○○院になりました。
天皇を再び名乗ったのは、江戸後期に幕府の力が衰えたのを見て、野心をもった光格が最初です。
それ以降いまの徳仁さんまで8名しかいません。
日本はずっと天皇家が治めてきた国という安倍派や維新の会のウソは酷すぎる話です。
日本史の教科書も、天皇という言葉さえない大部分の時代・時間も○○天皇とか書いているのは、もう恐ろしい洗脳教育で、開いた口がふさがりません。
なぜ、ほんとうのことを教えないのか?
それは、明治維新政府が捏造(ねつぞう)した天皇教を今日まで引きずっているからです。生きている生身の人間を神とする(天皇という名の記号にする)のは、カルト教そのものですが、それが清算できません。だから自由・人権をはく奪したままです。
それまでの日本の歴史には一度もなかった「一世一元の元号制度」をつくり(岩倉具視の考案)、時間・時代まで天皇の下におき管理するという古代王制の思想と手法を19世紀になり、行う。
また、皇室文化とは京都文化なのにも関わらず、何一つ関係しない東国の江戸城に住まわせ、敗戦後もそのまま一家族を江戸城跡に住まわせて、皇居と呼ばせている。日本の伝統や文化を大切にするなら、京都御所に戻すことが必要なのに、そのままにしている。
明治のつくった天皇カルトを清算し、正しく健全な思想にする。皇族の人々にも人権を保障し、日本の伝統文化を回復させる。これは急務です。
統一教会が、日本の政治を支配してきた自民党など右派グループと深く関わっていることが明白になったいま、皇族とそれ以外のほぼすべての国民のために、天皇教に終止符をうつことが必要です。ウソはいけません。
憲法の天皇条項も、1条「天皇は、国民統合の象徴であり、」は、いまもなお明治政府作成の天皇現人神(あらひとがみ)を引きずり、そのソフト化にすぎません。GHQが参考にした高野岩三郎や鈴木安蔵による民間憲法案では、1条「主権は国民にあり、天皇は儀礼を司るのみ」となっていましたが、マッカーサーが天皇制度利用のために、シンボル(象徴)という言葉を入れたのです。
武田康弘
外交は、上手にやる。偏らないのが大事。善悪の二分法はダメ。適当に。時にはのらりくらいが大切。
それが昔の自民党の知恵だったが、小泉から狂った。極端にアメリカだけ。昔はイスラム圏とも仲良くしていた。
憲法9条を盾にして自衛隊は出さない、アメリカが決めた憲法を日本は守ります、と言い、アメリカの要求を断る、という知恵があった。
中国ともロシアとも仲良くやる。台湾が中国全土を代表するという無茶なアメリカの方針を破り、中国と国交樹立したのは田中角栄。
すべて現実の損得を踏まえ、一方に偏らない。それが日本外交の基本路線だった。
領土問題は声高に言わない、民族主義は危ないことを弁える。それが大人の知恵だ。
今は、単細胞。受験主義の単純頭が、日本を不利にしてしまう。東大病では、大損だ。
武田康弘
白樺同人社・立ち上げパーティー 理事10名と発案者のわたしと、こどもたち。
世界に広める自由・理性・愛情の三色同心円!! 2021年の大晦日。
内容説明の記事を「白樺教育館」ホームページにアップしました。ぜひご覧ください。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/53/58/c6518f708c4c07cbf9a1458e0bb2ea70.jpg)
誰も書いていませんが、
1207年、28才の後鳥羽上皇の愛欲による法然門下=念仏宗への大弾圧ー親鸞の兄弟子4名を死刑(日本の歴史で死刑が執行されたのは初めて)、法然、親鸞ら8名を島流しと、
1221年 42才の後鳥羽上皇の政治権力欲による東国政権(北条政子と弟の義時)への戦争仕掛けの二つは一つで、
後鳥羽上皇の二つの激しい欲望=悪行が、日本史最大の変革をもたらしたのです。
それにより、東北から九州までの日本統一がはじめて果たされ、
また、日本の最大宗派である浄土真宗(親鸞開祖)が誕生することなりました。後鳥羽上皇の息子たちは北条政権により出家させられますが、そのうちの一人が、念仏宗の親鸞に帰依して東久寺と板敷山大覚寺を開き、院臣(大臣)だった壺井重義も後鳥羽上皇の悪行の罪滅ぼし(聖徳太子の夢告)に親鸞を助けて常弘寺を開きます。現茨城県の稲田・八郷地区中心に、半径40キロほどの圏内で、浄土真宗が誕生することになります(2023年は親鸞生誕850年・浄土真宗開宗800年)。
死罪と流刑による大弾圧(親鸞は主著=教行信証末尾で激しく糾弾)と、東国・北条政権への戦争仕掛け(逆に北条政子により無条件敗北)とは二つが一つなのです。
武田康弘
「うん、なるほど、と心の底から、頭の中心から納得する」普遍的な考えや行為は、役所が生みだせるものではありません。役所やその出先機関は、一般性を目がける市民・国民サービス機関です。もっとも、それすらなく、役人の惰性で動いているだけの場合も多いですが。
普遍性をめがける真の公共性は、個人=実存者から始まり、個人=実存者の集合としてつくられる自前の団体から生まれます。考え、方法、実践、お金、を持ちより、個々人の協力でつくりあげるのです。
それは、密度が濃く、深く考え、行為の早い同人社的な団体です。かつての20世紀の白樺派のような同人たちの集まりを広く社会に向けて開かれたものにする21世紀の同人社の創設が求められます。
誰かに何かに寄りかからず、精神的にも思想的にも金銭的にも自立する団体を、自覚する個人=実存者が共同でつくりあげる同人社こそが、普遍的なよきもの=真の公共を生みだすのです。
それに関わることは、個人としての人生を豊穣化させると共に公共に開かれた明るさと強さをもちます。21世紀の新しい実存の生を創造するのが、「うん、なるほど、と心の底から、頭の中心から納得する」普遍的な考えや行為です。
一般性を超えた世界へ。一般性の海に沈んでしまえば、個人性も普遍性も得られません。
武田康弘
日本、韓国、中国における公共哲学の中心者Taechang Kimさん(日本では、東大出版の全20巻『公共哲学』その他の編集最高責任者)
のFBコメントです。
金泰昌(Taechang Kim)さんの最大級の評価に感謝します。
画・シヒラ竜也
今日、5月19日は、後鳥羽上皇による北条政権(鎌倉幕府)打倒の企てを、龍となった尼将軍=北条政子の決断により打ち破ることになった記念日です。今年は、800周年です。政子による史上名高い大演説により東国武士は一致団結し、これまた政子の決断で、朝廷打倒のために京都へ攻め登ることが決まったのです。
昨日のBlogでご紹介した通り、北条政権の正史であり、日付入りの克明な日誌である『吾妻鏡』(あずまかがみ・全16巻)の現代語訳によれば、
政子の大演説に東国武士たちは涙し、一致団結して後鳥羽上皇率いる京都の朝廷に対することになりましたが、待ち受けて戦う意見が多勢をしめた中で、広元は、こちらから兵を派遣すべきと言いましたので、執権の北条義時(政子の仲のよい弟)は、
「両方の意見を政子に申したところ、政子が言った。『上洛しなければ、絶対に官軍を破ることはできないでしょう。安保刑部丞実光(あぼきょうぶのじょうさねあつ)以下の武蔵国の軍勢を待って速やかに京に参るべきです。
この言葉に従い軍勢を上洛させるため、今日は、遠江(とおとうみ)・駿河・伊豆・甲斐・武蔵・安房(あわ)・上総(かずさ)・下総(しもうさ)・常陸(ひたち)・信濃(しなの)・上野(こうずけ)・下野(しもづけ)・陸奥(むつ)・出羽(でわ)などの国々に京兆(義時)の奉書を伝え、一族らを率いて出陣するように家々の長に命じた。」(『吾妻鏡』8巻104~105ページ)
5月19日にはじめられた戦いは、一月後の6月には決着がつき、後鳥羽上皇ら朝廷は無条件降伏し、京都も京都以西もすべて北条政権の下に統治されることとなり、皇族は全員処分(無期懲役の遠島と出家)され、朝廷所有の荘園数百個所もすべて没収され、北条側の東国武士たちに与えられたのです。
その歴史的な意味と、14年前1207年の後鳥羽上皇の私怨による法然門下の大弾圧(4名が死刑、親鸞ら8名が島流し)との深い関係。親鸞が茨城の地で浄土真宗を開宗したこと。親鸞が北条政子の供養に尽くしたことなどについては、すでに発表していますが、詳しくしたものを後日に書きます。
つづく。
武田康弘
旧暦ですが、明日の2021年5月19日は、日本史最大の変革から800年記念日です。
北条家の日記=「吾妻鏡」(全16巻)より、8巻の「承久の乱」の一部をご紹介します。内容は明日書きます。
吾妻鏡は、徳川家康の愛読書でした。
いまも江戸城に住み続ける天皇家のみなさまへ。以下の拙文をお送りします。
天皇家は、薩長同盟による革命=明治維新に利用され、同調し、利害を共有し
ましたが、それにより、まったく縁もゆかりもない江戸城に住む(住まわされる)
ことになりました。150年前のことです。
明治天皇とよばれることになる睦人(むつひと)は、まだ15才にもならない
うちに、伊藤博文や山県有朋らにより、京都御所から江戸城に連れて来られ、新
たな「近代天皇制」(天皇は、神の系譜で神聖な存在であり、同時に国家の主権
者)にふさわしい天皇になるべく教育されました。
その近代天皇制の70数年間は、日清戦争、日露戦争、朝鮮併合、第一次世界
大戦、シベリア出兵、満州事変(満州国建設)から太平洋戦争までの15年戦争
(まる14年間)と戦争の歴史でしたが、1945年8月15日に「ポツダム宣
言」※を受諾し、9月2日に降伏文書にサインして、無条件敗戦をして終わりま
した。
主権者は天皇から国民へとコペルニクス的転回をして、大日本帝国憲法から
日本国憲法に変わりました。昭和天皇は「人間宣言」をして現人神(あらひとが
み)ではなくなり、明治政府のつくった近代天皇制は、その大元の思想を否定さ
れました。しかし、天皇家は、いまだに徳川家の城に住んで(住まわされて)い
ます。
天皇家の住まいは京都御所であり、東国の江戸城とはまったく縁がありませ
んでしたので、ほんらいならば、戦後の新憲法発布後は、京都御所に戻る(戻ら
せる)ことが必要でした。いまなお江戸城に住み続ける(住まわせ続ける)天皇
家では、日本の伝統に反してしまいます。
わたしたち国民とその意思の代行者である政府、当事者である天皇家の方は、
よく考える必要があります。いつまでも他者の城に住む(住まわせる)のでは、
道徳的にもよいとは言えません。伝統文化の象徴である天皇家は、それにふさわ
しい京都御所があるのですから、それとは無縁の東京に住み続けるのには無理
があります。明治政府による伝統の破壊を超えて、日本にふさわしい天皇家とす
るためにも、ほんらいの住まいに戻ることが必要です。
※ なお、天皇家は、東国には、財産(土地、建物)はありませんでしたが、
明治政府の伊藤博文が、国有地を次々と天皇家の名義に書き換えましたので、
大変な財産家になりました。
武田康弘
イデオロギーが支配する、という政治は、民主政治ではありませんから、国を分裂させ、対立を解くことが不可能になります。
どのような国にするか、どのような政治を行うか、どのような未来象をもつか。
それは、対等な個人が自由対話により導くもので、
あらかじめ「日本の歴史は天皇の歴史」というような物語(もちろん嘘)を前提にしたのでは、元から民主政治は成り立ちません。
どうするか、は、今に生きる人が対等な権利をもって、対話により決めるのです。特定の歴史観や社会観を押しつける発想をもてば、結局は全体主義(戦前の皇国思想または共産主義)になるほかないのです。
「日本会議」というニッポン天皇主義で固まる団体に首相以下閣僚や大多数の自民党議員が所属する政治では、元から民主制・民主政・民主性にはなりません。自分たちのことは自分たち自身で話し合いにより決めるという自治政治=民主主義は、なにもアメリカに押しつけられたものではなく、すでに中世親鸞の卸同朋御同行(おんどうぼう・おんどうぎょう)という思想と実践により800年もの歴史がありますし、さらに遡れば紀元前の縄文文化は自治政治でしたので、歴史的世界的に普遍的なものです。
特定の権力者や一族を支配者としたり、あるは権威者とするような差別の構造がよくないことは、こどもでも知っていることです。民主的であること=みなが存在として対等であり、互いの自由を認め合うことを前提にして、その上で話し合いによりルールをつくるということは、時代や地域を超えた普遍的真理で、その立場で政治を行わなければなりません。日本会議 と 主権在民の民主主義は相いれません。
明治政府がつくった有無を言わせずに天皇への尊崇を求める権威主義による政治と、みなが対等な権利をもつ民主主義とは二律背反です。民主政治でなければならない、これは原理であり、イデオロギーを超えた根源的な思想です。もう分かりましょう。自民党のみなさん、理解→了解できていますか? 55代総理大臣石橋湛山(自民党第2代総裁)の考えを学んでください。
石橋湛山 第55代総理大臣
武田康弘
10年前、2010年のblogです。6年前に再録しましたが、また、載せます。極めて大切だと思うからです。
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『靖国神社』とは、明治政府が、従来の日本の伝統を壊して新たに政府がつくった新宗教=天皇教の施設で、明治2年に「東京招魂社」として建てたものを、10年後になし崩しに「神社」と改名したのです。
東京招魂社(靖国神社)は、官軍=天皇側だけを祀る施設で、それまでの敵味方なく祀るという神道の思想を逆転させました。
なお、多くの戦争体験者が証言しているように、 「靖国で会おう!」などはヒドイ嘘であり、兵士はみな、故郷を夢み、先祖が眠る故郷の墓に入ったのです。当然ですが、靖国には誰の遺骨もありません。
以下は、4年前(2010年)の8月15日に出したblogです。
靖国神社の思想と近代民主主義の思想とは二律背反です。
いうまでもなく、主権在民を原理とし自由と平等の理念を掲げた『日本国憲法』と、『靖国神社』の掲げる宗教イデオロギーは、まったく相いれません。靖国神社(明治政府がつくった国家神道)の思想を認めるならば、日本はもう一度、天皇主権の『大日本帝国憲法』時代に戻る他なくなります。
靖国神社は、
天皇大権を当然のこととし、明治以降の日本の戦争はすべて「聖」なるものと主張し、
韓国・中国への植民地支配はなかった!と主張し、
敵と味方を峻別し、天皇陛下のために斃れた者だけを祀ると主張し、
個人の信教の自由を否定して、兵士は日本の軍神=集合神だと主張します。
このような靖国神社の掲げるイデオロギーは、現代の日本国家をつくっている基本理念=近代民主主義の原理とは二律背反ですが、同時に、多神教の『神道』を天皇神格化により疑似的な一神教へと変えた明治政府の所業(神道の国家神道化)は「古き日本」の伝統とも大きく異なりますので、日本の悠久の歴史を主張する人々もまた「靖国思想」には反対しなければならないはずなのです。
明治政府は、富国強兵政策を進めるために、古来の「神道」を「国家神道」へと変えましたが、その思想の下では、一人ひとりのかけがえのなさは否定され、公(おおやけ)とは滅私奉公のことだとされたのです。このような国家主義=靖国思想に縛りつけられたままでは、兵士たちの霊は永久に浮かばれません。
彼らは、戦争のない平和な日本を夢見、差別のない、一人ひとりが大切にされる社会を夢見たはずです。天皇を神として崇め、それに従う人生をよしとしたのではありません。天皇の官吏(官僚)が治める自由のない日本をよしとしたのではありません。軍人が威張る日本をよしとしたのではありません。互いの自由を認め合い、皆でつくる平等なルール社会を夢見たはずです。
死してなお、靖国思想に縛りつけるのは、戦死者への冒涜でしかないのです。政府の絶対の責任として千鳥ヶ淵の拡張整備を行わなければなりません。
65年間、その義務を怠ってきた政府に対して、わたしは激しい公共的な怒りと憤りを感じています。
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以下は、『靖国神社』の遊就館で売られている宣伝パンフレットからの抜粋です=これが靖国神社の思想ですが、これがよいと思う人は、いるのでしょうか?
小堀桂一郎(靖国神社の理論的柱、東京大学名誉教授)の談・1999年8月
「靖国神社の本殿はあくまで、当時の官軍、つまり政府側のために命を落とした人たちをおまつりするお社である、という考えで出発したのでして、それは非常に意味のあることだと思うのです。 そこには「忠義」という徳が国家経営の大本として捉えられているという日本特有の事情があるのです。 「私」というものを「公」のために捧げて、ついには命までも捧げて「公」を守るという精神、これが「忠」の意味です。
この「忠」という精神こそが、・・日本を立派に近代国家たらしめた精神的エネルギー、その原動力に当たるものだろうと思います。ですから・・命までも捧げて「公」を守る、この精神を大切にするということは少しも見当違いではない。その意味で、靖国神社の御祭神は、国家的な立場から考えますと、やはり天皇のために忠義を尽くして斃(たお)れた人々の霊であるということでよいと思います。
靖国神社の場合は、・・王政復古、「神武創業の昔に還る」という明治維新の精神に基づいて、お社を建立しようと考えた点に特徴があるといってよいかと思います。
あの社は天皇陛下も御親拝になるきわめて尊いお社である。微々たる庶民的な存在にすぎない自分が命を捨てて国の為に戦ったということだけで天皇陛下までお参りに来て下さる。つまり、非常な励みになったわけです。
国の為に一命を捧げるということが道徳的意味をもつのは万国共通です。言ってみれば、人間にとっての普遍的な道徳の一項目なのです。
実は総理大臣が何に遠慮して、参拝に二の足を踏んでいるのか不思議でならないんです。
中共が総理大臣の参拝に文句を言ってくるのは、何も彼の国民感情が傷つけられたなどという話ではまったくない。あの国の民衆の大部分は靖国神社の存在すら知りません。・・外に問題を設けて反対勢力の目をそちらに向けさせようという国内政治の力学が働いている程度のことであって、まともに相手にすべきことではないんですね。
だから私はこの問題でも総理が断固として参拝されるのがよいと思うんです。そうすると直ちに北京から文句を言ってくるでしょうが、適当にあしらうなり、知らぬ顔を決め込むなり、いくらでも対処の仕方がある。
総理が北京からの苦情を無視して何度でも繰り返し参拝すれば、そのうち向こうも諦めて黙るに決まっている。
総理の参拝が実現し、やがて天皇陛下の行幸もできたということになると、私は国民のモラルに非常によい影響を与えることができると思うのです。」