思索の日記 (クリックで全体が表示されます)

武田康弘の思索の日記です。「恋知」の生を提唱し、実践しています。白樺教育館ホームと共に

鳥肌ー震えー涙。なでしこジャパンに感動!

2011-07-18 | その他
サッカーを見て感動で涙したのは、はじめての経験。

ドイツとの試合、そして、アメリカとの決勝戦、言葉にならぬ感動ーよろこびで、全身に震えがきました。

スポーツで涙したのは、オリンピックのフィギアスケートで、荒川静香さんの演技を見たときがはじめてでしたが、

それとは質が異なり、ストレートに勝負・闘いのスポーツで、これほどのよろこびがあるとは、われながら驚きでした。


いまから、今日の講演会(「柳宗悦の思想、その面白さ」)の準備です。午後3時から我孫子駅北口のショッピングセンター「エスパ」の中にある「市民プラザ」でやりますので、お近くの方はぜひどうぞ。
いや~、気合が入ります。


武田康弘
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放射線ー我孫子市の実測結果を白樺教育館ホームで公表ー測定者・西山裕天

2011-06-21 | その他

白樺教育館・大学クラスの西山裕天さん(中学1年生からのわたしの教え子)が、先月我孫子市の放射線量を調べましたが、その結果を「白樺教育館」のホームページにアップしました。
予想よりも高い値でした。ご覧ください。

測定機器は、
HORIBA社製 環境放射線モニタPA-1000 Radi
検出方式:シンチレーション式
測定放射線:γ線
感度:0.01μSv/hに対して毎分10カウント以上
相対指示誤差:±10%以内
変動係数:0.1以下
エネルギー範囲:150keV以上
エネルギー特性:0.5~3(150keV~1.25MeV)137Cs(662keV)に対する感度を1とした場合の相対感度)
有効測定範囲及び表示:0.001~9.999μSv/h
サンプリング時間:60秒
表示間隔:60秒の積算値(移動平均)を10秒毎に表示



武田康弘
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昨日のアクセス数ー4627件!

2011-04-15 | その他

昨日のアクセス数ー4627件。

MIXIの友人がツィートしてくれたために、ビックリするようなアクセス数になりました。
改めて、ネットの力を実感しました。
訪問下さった方、コメントを寄せられた方、ありがとうございます。これからも、ぜひ、お付き合いください。

思索の日記
ブログの開設から 752 日

4月14日のアクセス数 閲覧数:11,281PV 訪問者数:4,627IP
順位: 29位 / 1,567,145ブログ中 (前日比 )
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武田康弘
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素晴らしいチームワーク、サッカー日本に感動!

2011-01-30 | その他

素晴らしいチームワークによる勝利!興奮と感動で寝不足です(笑)。

イタリア人のザッケローニ監督もいい感じ。

わたしは、国別の対抗戦に特別の興味はないのですが、日本選手の優れた動きとチームワークのよさには、理屈抜きに引きつけられました。

選手の顔がいい。動きがいい。さわやか!感動!
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1月30日(日)白樺教育館・落成7周年の祝

2011-01-27 | その他
今度の日曜日(30日)に『白樺教育館』の落成7周年の祝いを行います。
「思索の日記」の愛読者のみなさま、よろしければ、ぜひご参加ください。楽しい祝いの会にしたいと思います。参加費は無料です。

午後2時から4時まで。白樺教育館で。
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「京都人気質」 作・茶所博士

2010-07-06 | その他

以下は、mixiの茶所博士さんの日記です。

面白ので、ご紹介します(承諾済み)。


小咄 京都人気質  2010年07月01日00:58  


ある京都の男性が会社の仕事で東京に出張した。

 東京について、取引先の社員と面会した。その社員が、京都から来た男の口調が関西弁であることに気づいて問いかけた。

 「田舎はどちらですか?」

 この何気ない一言に京都人はムッとした表情で答えた。

 「『みやこ』です!」

ーーーーーー

これ、実話だそうです。

他にも、京都のある茶道の家元の看板に「地方出張指導承ります」と記載されている例もあるとか。京都以外はみな「地方」になってしまうのですな。

 大阪在住の小松左京先生は東京へ行くことを「江戸へ下る」と言うそうです。この反骨精神があってこそ、「日本沈没」のような小説が書けたのでしょうね。あの内容は、平和にのほほんと生きる人には執筆不可能でしょう。

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コメント


ねこにゃん†雨天無能

京都人はムッとした表情は浮かべません。
無知な田舎者を見る目つきで言うんです。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

タケセン

京都の人=天皇家は、いつまでも人の家(知将・太田道灌の建てた江戸城)にいないで、自家である京都御所へお帰りになるのがよろしいですね。将門を主祭神とする神田明神と縁の深い神田生まれのわたしは、どうにも収まりが悪く思うのですが・・・・。
由緒正しき京都のみなさま、お引き取り頂けないでしょうか。
がらっぱちの江戸っ子より(否、粋な?笑)

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茶所博士  

 ねこにゃん先生

 実際には田舎物を見る目で言ったのかも知れません。東京の人も「ご出身はどちらですか?」と言えば角が立たなかったのですけどね。
 実際には先祖代々の江戸っ子より、よそから東京に引っ越してきた人の方が「上から目線」になりがちなのだそうです。何年か住んで、東京都民を気取る頃になると、新たに引っ越してきた新参者に対して先輩風を吹かすという話でした。
 考えてみると、今の都知事はその典型かもしれませんな。

 タケセンさん 
 
 文字通り「治明(おさまるめい)」ですね。明治維新の時、江戸っ子たちは明治新政府をこのように呼んで揶揄したそうです。
京都の人たちも陛下のお帰りをお待ちしている、という話もよく聞きますけど、実現するのでしょうか。

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タケセン

「神田生まれのわたしは、どうにも収まりが悪く思うのですが・・・・。 」
「治明(おさまるめい)」ですね。明治維新の時、江戸っ子たちは明治新政府をこのように呼んで揶揄したそうです。」

おさまるめい、で、明治、いいですね~(笑)

それはそうと、もうそろそろ、元号ではなく、世界歴(西暦)を使うようにしなければいけませんね。近現代の歴史で、明治、大正、昭和、平成では、世界との共時性が失われて、日本だけの歴史になってしまいますから。いまだに島国根性ではね。


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24日(木)参議院で「新しい公共」をテーマにパネルディスカッション

2010-06-22 | その他

24日(木)に、参議院の行政監委員会調査室と内閣委員会調査室の主催で、「新しい公共」をテーマにパネルディスカッションが行われます。

これは、立法府の官僚(国会議員をサポートする人たち)の意識を高めるために行われる会ですので、一般の方の参加はできませんが、極めて公共性の高い催しですので、後日、情報公開されると思います。

以前にご紹介した通り、2007年にわたしと金泰昌氏との「哲学往復書簡」が『公共的良識人』紙に連載されましたが(これは7月に東京大学出版会から本として出ます)、そこでの論争が注目され、わたしは金氏と共に、2008年1月、参議院でのパネル「公共哲学と公務員倫理」でパネラーを務めることになったのです。
金氏とわたしとの忌憚のない厳しい討論は、【主権在民】の意味を深め【官】の位置づけを明確にしましたので、以後わたしは、「公共哲学論争を巻き起こした人物」(参議院・荒井達夫論文)と評されることにもなりました。

そのようなわけで、今回も再びパネラーとして発言するように求められたのです。

以下は、その案内です。わたしに送られてきたものを転写します。


「新しい公共」について考えるパネルディスカッション

行政監視委員会調査室
内閣委員会調査室

○趣旨

前鳩山内閣では、「これまで官が独占してきた領域を公(おおやけ)に開き、新しい公共の担い手を拡大する社会制度」の構築に向けた検討が進められ、本年6月4日、「新しい公共宣言」がとりまとめられた。この施策は、現在の菅内閣でも引き継がれており、「新しい公共」の思想は、今後の我が国の国家運営の全般にわたり影響を与えることになると予想される。
しかしながら、「新しい公共」が真により良い社会の実現につながるためには、行政において主権在民=国民主権の理念が徹底されることが不可欠である。行政において主権在民=国民主権の理念が徹底されることなく、単に「官」の組織・業務のスリム化を目的として「新しい公共」に関する施策が実施される場合、「官」の役割が曖昧になり、責任の放棄となる可能性が高く、また、活躍が期待されるNPOは、天下りの多い公益法人のように、「官」が自分たちの独自の利益を図る下請け機関に過ぎなくなるおそれがあるからである。
「新しい公共」の実現のためには、「官」の意識改革が必須となる。そこで、「公共」の思想と実践に詳しい4名の有識者の方々にお集まりいただき、「新しい公共」の意義と問題点についてパネルディスカッションを行い、その成果を「立法と調査」で公表することとしたい。

○パネリスト

・郷原信郎(名城大学教授・総務省コンプライアンス室長)

・竹田青嗣(早稲田大学教授・哲学者)

・武田康弘(白樺教育館館長・哲学者)

・福嶋浩彦(中央学院大学教授・「新しい公共」円卓会議構成員)


○日時等

・日時:6月24日(木) 13:30~15:30
・場所:調査室7F大会議室
・司会:荒井達夫(行政監視委員会調査室首席調査員)



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白樺文学館・誕生秘話

2009-05-20 | その他
『白樺文学館』が4月1日より我孫子市の管理になりましたので、白樺文学館・創成記というホームページを新設し、「誕生秘話」をシリーズで発表しています。当時の写真と共に事実とその意味を平明に記載しています。ぜひご覧ください。

武田康弘


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白樺文学館・誕生秘話(2)ブレイクの版画

2009-05-02 | その他
柳宗悦夫人・兼子さんによると、宗悦は晩年になっても、ブレイクの詩を寝言(英語)で呟いていたとのことですが、そこからも分かるように、柳は、詩と絵画(石版画)を融合させた大胆なまでに自由な幻視者であったウイリアム・ブレイクを生涯愛し続けたのです。

当時は、本国のイギリスでもブレイクについての研究は「危険」なことであり、ブレイク賛美など出来る状況にはありませんでした。性とキリストに対する自由な見方は、異端であり、ブレイクは危険人物、ないし狂人とされていたからです。

そのような状況の中で、1914年、柳は我孫子に来てすぐに『ウイリアム・ブレイク』を発表しましたが、この弱冠25歳の若者によって書かれた大著(778ページ)は、後に、世界水準を抜くブレイク論として高く評価されることになりました。

「創造の地―我孫子」というコンセプトの下につくる『白樺文学館』においては、我孫子白樺村の最初の来訪者(※注)であった若き柳宗悦の心を占め(ブレイクが柳か、柳がブレイクか、とまで評されもした。)また、生涯にわたって伴侶であり続けたブレイクを提示することは必須のことです。そこで、わたしは文学館をつくるとき、ブレイクの石版画を探し歩いたのですが、偶然にも2000年春の神田の古書祭りで、驚くほど安価にブレイクの版画集を入手することができました。その版画集(WATER‐COLOUR DESIGNS FOR THE POEMS OF THOMAS GRAY)は、100枚を超えるものですが、そこから一つの章12枚を選び、額装し(柏市のいしど画材店に依頼)、文学館の玄関ホールに飾ったのです。建築会議で建築士たちに版画を見せ、文学館の玄関ホールの壁の仕上げと色は、いぶし銀の額に収めたブレイクの版画に合うように決めたのでした。

ところが、わたしが館長を辞した後、ブレイクの版画は外され、この壁面には竹久夢二(大正ロマン主義の象徴)の絵が数枚飾られることになりました。いまは、白樺派の面々が写った特大の写真パネルが飾られていますが、どちらにせよ、これでは白樺派の魂―精神を見せることにはなりません。内的意味の希薄な「文化」は現代に生きる力を持たず、ただの飾り物に過ぎない、そう言う他ないのです。とても残念です。

日本人画家の絵を展示するならば、白樺同人の南薫造か有島生馬、また著名な画家では白樺派と密接な関係にあった岸田劉生か梅原龍三郎、棟方志功のものとすべきです。もし竹久夢二の絵を展示するならば、大衆的な人気を得、生馬が追悼の辞を述べた画家ということで、参考として一枚、それが良識というものでしょう。現在の「白樺文学館」のように、一室全部を夢二の絵で飾るというのは、元・オーナーであった佐野力さんの個人的な趣味に過ぎず、普遍性を持ちませんし、公共性にも欠けます。


(※注)柳が、我孫子に志賀を呼び(柳が地元の飯泉賢二さんに頼んで土地の世話までした)武者を呼び、リーチを呼んだ(柳家の一部を提供し庭に窯もつくらせた)のです。

写真は、2001年春、開館当時の文学館ホール(ブレイクの版画)


武田康弘
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白樺文学館創成ー誕生秘話(1)『志賀直哉文学館』から『白樺文学館』へ

2009-04-20 | その他
白樺文学館創成ー誕生秘話(1)
『志賀直哉文学館』から『白樺文学館』へ


ちょうど10年前の1999年2月に『志賀直哉文学館』の創設が始まり、それから丸2年、2001年1月に、それが『白樺文学館』として落成を迎えるまでの間、および開館後の数ヶ月間は、わたしの生涯の中でも最も多忙な時期でした。

今年2009年4月1日、その『白樺文学館』は、オーナーで二代目館長である佐野力さんから我孫子市に寄贈され、市が運営することになりました。初代館長であるわたしは、この機会に、文学館創成の過程を振り返り、検証し、その意味を明確にする必要と責任があると思いますので、『白樺文学館創成ー誕生秘話』をシリーズとして順次発表していくことにします。


1999年2月6日(土)、前日に「日本オラクル」の株式店頭公開を果たし、巨額の資金を手にした佐野さんは、わたしの家を訪れ、「武田先生、事情が変わりました。お金があるのです。なにか面白いことを一緒にやりませんか。志賀直哉の文学館をつくるのはどうでしょう。武田塾の教育を広めるにも役立つと思うし。つくるにあたっては、理念も中身もすべて先生にお任せしたい。」と言いました。わたしは笑いながら即答しました。「いいですね。やりましょう」

わたしは、馴染みの神田神保町(神田生まれのわたしは、神保町の大型書店や古書街でいつも遊んでいた)にある「八木書店」に依頼して資料の収集をはじめ、土地を購入し、理念をつくり、建物のコンセプトを考え、定期的に志賀直哉の勉強会を開き、奈良の志賀直哉邸を佐野さんと共に訪ね、・・・・私塾で子どもたちの勉強をみながら、そんな多忙な日々を送って7ヶ月が経過したある日、「週刊朝日」(99年9月10日号)に載った佐野さんの発言で『志賀直哉文学館』の構想を知った志賀直吉さん(注1)から、「父の遺言により、記念館の類をつくることは一切お断りします」という手紙が日本オラクル(株)に届いたのです。

9月なのに真夏のように暑い土曜日、佐野さんは困惑した様子でわたしの主宰する私塾『ソクラテス教室』を訪れました。「武田先生、どうしましょう・・・」と言うので、わたしは即答しました。「佐野さん、何の問題もありませんよ。『白樺文学館』とすればいいのです。志賀は柳に誘われて我孫子に来たのですが、かれは同人誌「白樺」を代表する文学者であり、思想・文学・美術・音楽・教育等の白樺文化運動の一翼を担った人なのですから、ひろく白樺派を顕彰する文学館とし、その中に志賀直哉に関する資料を展示すればOKです。」と。佐野さんは安堵し、その場で『志賀直哉文学館』は、『白樺文学館』になったのです。

私は内心、「よかった」と思いました。というのは、私小説作家である志賀直哉ひとりを顕彰する文学館ではどうしても趣味性が強くなり、未来を開き、公共性をつくることが難しいからです。

白樺派は、白樺山脈といわれるほどの大きな影響を各分野に与えた日本最大の文化運動ですが、活動があまりに多岐にわたった為、その真価・核心を思想的に明らかにすることは未だに不十分です。そのため、白樺派を顕彰する文学館(注2)をつくるとなれば、困難の度は飛躍的に高まりますが、その価値もまたはるかに大きなものとなります。「これは、やりがいがある仕事になったな。」わたしは、そう思ったのです。

しかし、これが後に佐野さんとわたしとの別れを生む深因ともなりました。志賀直哉という一人の作家に拘る佐野さんは〈私性―趣味性〉に傾き、白樺派の精神を現代に活かそうと発想するわたしは〈公共性―未来性〉に傾くのです。『志賀直哉文学館』から、白樺派を顕彰する『白樺文学館』とした時点で、佐野さんの最初の、そして赤裸々な「想い」を貫くことは出来なくなったのです。誰が計ったのでもなく、これは「運命」としか言いようがありません。


(注1) 志賀直吉さんは、志賀直哉の次男(長男は生後すぐに亡くなったので実際上の長男)で、岩波書店の専務を勤め、定年退職)
(注2) ほんとうは、名称は『白樺文芸館』の方がよいのですが、『志賀直哉文学館』としてスタートしたため、『白樺文学館』という名称になりました。


2009年 4月16日  武田康弘
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みんなの歌ークリスタルズ・素敵なメッセージソングー「全てを愛に代える勇気」

2008-04-14 | その他
NHK「みんなの歌」でとても素敵なメッセージソングを流していました。【全てを愛に代える勇気】

以下は、「みんなの歌」のホームページのコピーです。
ぜひ、お聴きください。
CDかDVDが出ないかな~と期待しています。


作詞:めけてとにせん
作曲:めけて
編曲:めけてとみみ
映像:Chris&Patty
アニメーション:ホッチカズヒロ
振付:CHIHARU・ETSU(TRF)

クリスタルのようにどこまでも透明で、強い光を放つ心を持つこども達が、自らの言葉で「全てを愛に代える勇気」を歌う直球勝負の作品を届けたい。その想いを胸に、実力派ソングライターの“めけて”が、自らの娘(当時4歳)が母親を勇気付けるために何気なくつぶやいた日々の言葉を下地に、書き下ろした。学級崩壊、非常識、学力低下、減らないイジメ・・・ 様々な問題が大人たちによって叫ばれ、こども達が不安と焦りを募らせている日本。世界に目を向ければ、終わりのない憎しみの連鎖・・・遠のく平和への道・・・。この現実を真正面から見つめ「戦わなくていいんだよ、好きになっちゃえばいいんだよ」「憎しみも涙に代えて、許せる勇気持って生まれてきたんだ!」「この地球を光で満たす、心の愛を持って生まれたんだ!」と、こども達が自らの言葉で力強く歌う曲を通して、混沌とした世界で進むべき道を模索し続ける大人たちにも多くを感じてもらえる作品としたい。
歌うは、本作の為のオーディションで、全国各地から選抜された618歳までの特別ユニット「クリスタルズ」。振付に「みんなのうた」初参加となるTRFのCHIHARU・ETSUを迎え、本格的なダンス(実写)と、夢溢れる映像(アニメ)の合成で綴る。
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『十五の心』(クラリネットとピアノ・大島姉妹)日本語の美しさを≪器学≫で味わう

2008-03-21 | その他
白樺派・柳宗悦(やなぎむねよし)と共に「民芸」運動を進めた夫人の柳兼子(かねこ)は、日本最高のアルト歌手であり、孤高の作曲家・清瀬保二(きよせやすじ・武満徹の師としても知られる)の歌曲の初演者、紹介者でもありました。ドイツリートの見事な解釈で日本をリードし、ドイツ本国でもドイツ人歌手以上!との批評を受けた兼子は、
同時に、歌曲としての日本語のよさ・美しさを追求し、新たな歌唱法の確立に至ったのです。
(作曲家の清瀬保二の音楽は、足が地についた健康な精神が生みだすもので、品位が高く、しっかりとした身体性を伴っています。現代の日本人が忘れている心と風土の世界を表していて、なつかしく、且つ新鮮です。心から心へ直接伝わる珠玉の名作は、素朴にして高貴であり、独創にして自然です。)

柳兼子さんは80歳を超えてもなお新たな挑戦を続け、演奏会を開き、幾つものレコード(現在はCD化されています)を出しました。戦中に戦争協力を拒否したために活躍の場を奪われましたが、斎藤秀雄(小沢征爾等「サイトウキネンオーケストラ」に集う人たちの師))をはじめ日本の有力な音楽家には最高の歌手として認められ、韓国では「神」のように尊敬され続けた兼子さんには大勢の弟子がいました。その中でただ一人の内弟子であったのが大島久子さんです。久子さんの親友・松橋桂子さん(清瀬保二のお弟子さん)の大著『柳兼子伝』に依れば、ご主人の大島恵一さんも若いころは兼子さんに師事していたとのことです(後に東大教授、OECD科学技術工業局長)。

前置きが大変長くなりましたが、昨日、大島久子さん(84歳)から頂いた『十五の心』ー「詩」を奏でる・クラリネットとピアノで綴る日本の歌―という最新録音のCDをご紹介しようと思ったら、歴史を書くはめになりました。http://www.amazon.co.jp/%E5%8D%81%E4%BA%94%E3%81%AE%E5%BF%83-%E5%A4%A7%E5%B3%B6%E7%9B%B4%E5%AD%90-%E5%A4%A7%E5%B3%B6%E6%96%87%E5%AD%90/dp/B0013HUW8O/ref=sr_1_1?ie=UTF8&s=music&qid=1206070681&sr=1-1

このCDの演奏者の大島文子(クラリネット)さん・直子(ピアノ)さんは、大島久子さんの三女・二女です。わたしは、二女の直子さんの運転するアルファ・ロメオで都内を疾走!(恐怖)したことがあるのです(笑)。脱線しましが、このCDを昨晩から3回通して聴き、とても素晴らしいと思いましたのでご紹介します。以下に、文子さんと直子さんの書かれた一文を載せます。

「二人で演奏をはじめて、かなりの時間が過ぎました。やっと二人とも心の雑念がとれて、素直な気持ちで自分の心表現できるような気がします。・・母は声学を学んでいましたので、遊びほうけていた子供の頃から、歌は私たちにとっては身近なものでした。その母の恩師は柳宗悦夫人の柳兼子です。・・柳兼子が歌った石川啄木の「不来方」(こずかた)を聞いた時、涙が溢れ出た感動を今でも覚えています。・・この啄木の「不来方」の最後の節の言葉である「十五の心」を、私たちのこのCDのタイトルにしました。
楽器でいかに日本の歌を演奏するか?これは、「表現する」とは何なのかということに通じるような気がします。・・同じメロディーでも歌うときに「詩」が違えば、違う表現をしなければいけないのです。・・楽器を演奏しているという雑念があっては、このことは表現しきれない事に気がつきました。どうやって同じメロディーで違う「詩」を、そしてその「詩」の持つ本当の深い意味を表現できるかという事が、私たちが長年取り組んできたテーマです。このことに挑戦するために、全曲、日本歌曲でまとめ、器学のCDではありますが、歌詞を載せました。
私たちの演奏でその歌詞を、そして、日本語の持つ表現の美しさを感じていただければ幸いです。」

まことに見事なコンセプトであり、演奏も実に美しく共鳴します。このCDを聴いて心やすまらぬ人はいないでしょう。ただ、ひとつだけ残念なのは、柳兼子さんが晩年もっとも熱心に取り組み、一番高く評価していた清瀬保二さんの曲が入っていないことです。直子さん、文子さんのコンセプトを深め、独創の境地を切り開くことにもなりますので、次回のアルバムではぜひ入れて下さいね。期待して待っています。


武田康弘
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明けましておめでとうございます。

2008-01-01 | その他
今年2008年は、素晴らしい年、日本の社会が「新しく始まる年」になるでしょう。

白樺・民知が大きく羽ばたき、大収穫をもたらす年になりそうです。
このブログでもその様子をしっかり報告しますので、ぜひ、ご愛読をお願いします。

わたしは、今までにも増して大忙しになりそうですので、「ブレーキ」をかけつつ前進しようと思っています。収穫の大きさに潰されないように注意して。

では、今年も共に悦びの時を過ごしましょう。


武田康弘
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ブログ『思索の日記』-4年ー16万件ー感謝!!です。

2007-11-27 | その他


以下は「白樺ML」です。みなさん、これからもよろしく。


武田です。

「ブログ」とは何かも知らず、ただ簡単に更新できるホームページみたいなものがあればいいのにな~、と思ってみなに聞いたら、管君が、「アメリカですごく流行っているブログというのがあります」というので、綿貫君と管君に頼んで【思索の日記】という名のブログをつくりましたが、早いもので、今月で4年が経ちます。

当初は勝手が分からず、どういう人が読むかのかの見当もつかず、おっかなびっくりで記事を書いていました。途中でネットウヨクのような人のコメントがしつこく入ったこともありましたが、断固として反論していたらすっかり消えてしまい、寂しいくらいです(笑)。

丸4年たって、今日でアクセス数が16万件に達しそうです。振り返れば、このブログを出したために、いろいろ面白いこと、大変なことが招来したのですね~(笑)。今後ともみなさんよろしく。コメントもお願いします。

――――――――――――――――――――――――――ーーーーー

祝!「思索の日記」四年!
16万件ってすごい・・・

ここ2年くらいはすさまじく根気のいるテチャン(金泰昌)さんとの往復書簡(これも山脇直司さんをつうじてブログがキッカケだったでしたっけ?)も続いていましたし、たまった疲れがでたり風邪もぶりかえしているようですが、タケセン、どうかお大事にしてください。

今もこれまでも、過労だろうが風邪で熱がでようが何があろうが、授業などでそんなところを微塵もみせないタケセンですから、あとからたまたま百代さんに聞いたりしてビックリしたことは何度もあります。百代さんでさえあとからビックリってことがあると言っていました。

これって、タケセンが仕事や日々の生活の中でもそうとうな試行錯誤や創意工夫を実践して想像できないくらいのプラスのエネルギーをうみだしながら生きているからできることなのかしら、と最近思います。

教室は建物はもちろん、教室内においてあるさまざまなもの、ただよう空気、空間には、ほんとうってなんだろうと問い続ける「哲学の土台]や、おしゃれ心、いろんなエッセンスがちりばめられている感じがして、いるだけでなんだかたのしくてみてふれるともっとたのしくて、発見もあり、会でみなさんと自由対話を深めていく時間も有意義で、貴重な場だなぁと私は思っています。

もう一度、祝!4年ー16万件
今私はタケセンや白樺のみなさんに心から感謝の気持ちでいっぱいになっています。

染谷ひろみ




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『チョムスキーとメディア』=ベートーベンのシンフォニー

2007-04-07 | その他

知的興奮・悦びが、強烈な感動を呼ぶドキュメンタリー映画「チョムスキーとメディア」のDVD(クリック)が早くも発売になりました。

ここには、汲めども尽きぬ知=ほんらいの知=民知が溢れていて、見るたびに精神が覚醒されます。愚劣極まりない国家主義の権力者たちの顔と言辞をテレビで毎日見せられるのはほとんど拷問に等しいですが、チョムスキーの明晰・誠実・高潔・不退転のほんものの知性と豊かな人間愛に満ちた語り=行動は、見る者に不屈のパワーを与えてくれます。

そう、これはベートーベンのシンフォニーと同じ。聞く(見る)度に精神を躍動させ、不屈の魂を呼び起こす最高傑作。知的にも芸術的にも。

武田康弘




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