思索の日記 (クリックで全体が表示されます)

武田康弘の思索の日記です。「恋知」の生を提唱し、実践しています。白樺教育館ホームと共に

信条? エロース豊かな理念

2005-01-31 | 私の信条

わたしは、、
多くのふつうの人が「なるほど」と納得できるような理念、
コンコンと泉が湧き出てくるような豊穣な理念、
一言で言えば《エロース豊かな理念》を生み出し、
そこから、広がりのある・意味の濃い・よき合理性をもった《具体の言動》を創っていきたい、といつも思っています。

逆に言えば、「現実」を全身で掬い取るように捉え、
そこから《エロース豊かな理念》を立ち上げる、という訳ですが、
これは本来、一体のものです。

「現実主義」と「理念主義」の双方を超えて、思想を生きたものにするには、生身の人間として、鎧に守られた人間=肩書き人や組織人ではなく、裸の個人として、日々の現実に素手で関わる態度―勇気が必要です。

本物の強さ=優しさがなければ、生きたエロース豊かな理念=新たな人生と社会を切り開く能動的な理念をつくることは決してできません。

人間力を養うには、書物に頼らず、生の体験=具体的経験に基づき、自問自答し、生きた話し言葉で対話することが必要です。書かれたものー書物は、思考を触発する単なる一アイテムにしかすぎません。

私の人生の立場は、音楽に例えて言えば、作曲者兼演奏者です。したがって、その立場から全てに関ります。過去に書かれたものは、それなりに尊重し、一つの手段として今に役立てればよいのです。それ以上でもそれ以下でもありません。

今、生きている心身と、今、生きている心身が触れ合い、新たなエロースを生み出すこと。
それが生きることです。これは原理中の原理です。

武田康弘 2005.1.31


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?最もよい人=魅力的な人とは?

2004-12-08 | 私の信条
最もよい人=魅力的な人とは、自分を愛し、何よりも「自分の心」を大事に生きる人です。

ほんとうに人を愛することができるのは、自分を大事にする人だけだからです。


最も悪い人=魅力のない人とは、自分の気分や都合で人を振り回す「自分勝手」な人です。

こういう人は、自分の心の世界が貧弱なので、人を愛することができないからです。


 武田康弘


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生きる上で一番大事なことは? 武田康弘

2004-11-30 | 私の信条


人間が生きる上で一番大事なことは、遊び・冗談・余裕・笑い・ふくらみの感覚です。

幅がない、固い、形式的、心の狭いマジメの精神は、自分も他人も不幸にします。

キリキリと目標一直線、余裕なし、色気なし、ツヤなし、単純―単色の学校秀才ではつまりませんね。

人間の価値とは、存在そのものの魅力=ero(ー)sです。硬直した厳禁の精神は、人生最大の敵なのです。

生の意味を知らない貧しい心と頭は、生きる価値のない灰色の世界しか生みません。
もうそろそろ日本人も人間になりたいものだな~、と思います。

繰り返します。人間にとって一番大切なことは、遊び・冗談・余裕・笑い・ふくらみの感覚です。


 ( 2004年11月30日 )





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情熱 

2004-11-28 | 私の信条

情熱、よいこと・美しいこと=善・美をもたらすのは、情熱の力による。
よく生きるとは、情熱をもって生きることである。
学問や芸術や競技や、を含む人間の生活世界のすべては、情熱によって支えられている。
本来、人間は一人ひとりが太陽だ。燃えているのは自分だ。私もあなたもよく燃えることができるように互いに協力し合うのが人間だ。

情熱が不完全燃焼を起こすと、さまざまな有害物が出てくる。情熱が粘着性をおび、ロマン主義になると、自分だけの正しさの世界から抜け出せなくなり、腐臭を放つようになる。自分を傷つけたり、他人を傷つけたり、自閉的になったり、暴力的になったりする。ロマン主義の一番恐ろしいのは、他者(親子・兄弟・夫婦など近しい関係にある人をも含む)を自分の思い通りにしようとすることだ。一人ひとりが太陽だ、ということを忘れ、他者を支配しようとする心が生じる。

情熱は、善・美を生み出す源泉だが、逆にまた、善・美を目がけているときにだけ、情熱は完全燃焼できる。その時々の気分や、目先の勝ち負けや損得を超えて大きく生きようとするとき、人間はよく命が燃える。私はどこまでも一人の私でありながら、しかも私という自我を超えた大きな存在になる。よき生=幸福とは、命=情熱の完全燃焼が生み出すものだ

情熱を失うと人間は終わってしまう。教育とは、長続きするよき情熱を育てるものだ。単なる技術的な知の伝達ではなく、ロマン主義に陥らない完全燃焼のよき美しい情熱を生むための人間的な努力である。教育者の最大の資質とは、情熱家であることだ。目の前にいる子どもにつき、口先の理屈ではなく、しなやかな柔らかさをもって生きる人、力には屈しない勇気と愛のある人が求められる。本来の教育者は、哲学者(恋知者)である。知恵を愛し、よきもの・美しいものに憧れる情熱家でなければ、人間の生の問題には関われないからだ。

武田康弘





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?わたしの信条 武田 康弘

2004-11-24 | 私の信条
よろこびの多い気持ちのよい人生を送るために、また社会をよく変えていくために一番必要なことは、自分に勝つこと、自分が元気になれるような思考と生活をすることです。他人に勝つことではありません。
課題となるのは、他人ではありません。自分です。今の、今までの自分に負けないことです。刻々と今を未来に向けて歩む自分、新たな可能性に向けて日々を創造するこの私の実存こそがすべてです。
私が真に納得のできる生を生きた時、自分の周囲や社会は、自ずと変わるのです。自己の変革が、社会の変革を生むのです。
世の中がなかなか変わらないは、自分がなかなか変えられないからです。人のせいにしてはいけません。
逆に、自分を変えることができれば、世の中も変わります。変え続けること、脱皮し続けることが大切。それは、人生の最大のエロースです。ほんとうに私のためになることは、みんなの利益です。
私とは、状況に飲み込まれるものではなく、状況を飲み込むものなのです。
これがわたしの信条です。


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他人に勝つ? 武田 康弘

2004-11-24 | 私の信条

他人と比較するー他人に勝とうとするー他人を目標にするー他人を気にする。
そういう人は、はじめから負けているのです。死ぬまで、安らぎも充足も得られません。いつも他人の評価に怯える脅迫神経症者として生きるのです。

深い納得の世界、ほんとうの満足・よろこび・楽しさ、意味充実のエロースを得るためには、自分自身をよく見つめる練習が不可欠です。自分の心身の世界を広げ深めようとする営みは、他人の目を意識したら出来ません。これは原理です。

ほんとうに「よい」ことは、自分自身との対話からしか始まらないのです。透明な心―自分で自分に聞いてみる静かな心―沈思がなければ、すべては砂上の楼閣です。

ピクピクと反射的に動く現代人には、幸福はありません。底の浅い一時的な快感をつないでいくだけの惨めな人生から抜け出すには、他人との比較をやめ、自分の心身の声を聴くことが必要です。



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