白樺民芸の三本柱、棟方の創作思想上の師である河井寛次郎と濱田庄司の陶器と思想上の恩人「柳」の文字やゴッホと共に、ねっころがって第九に浸り歓喜する自画像です。人類史上最高の音楽によろこんでもよろこびきれない棟方がいます!!
武田康弘
全身全霊をかけて指揮を終え、フラフラになりながら、オーケストラが引きあげてなお残る大勢のファンのために、
指揮台の上った瞬間を捉えた写真です。すべてを出し切った後の言葉にならぬ表情が撮れました。
撮影・武田康弘 東京芸術劇場で。Sony RⅩー1R(ゾナー35ミリF2)
所得が何億円もあるのに(全部税金から)、所得税はゼロ円
あまりにも広大な屋敷に住んで入ても(江戸城占有)住民税はゼロ円。
健康保険料もゼロ円
なにもかもタダです。
それでいて、国民最高の待遇を受けられます。 ああ、失礼、国民ではありません。国籍はないですし、住民票もありませんから。
海外にはパスポートなしで渡ります。
これは、なんとう存在ですか。
明治維新政府が創作した天皇という記号だからです。気の毒ですし、ウルトラ特権者です。
日本人が単なる事実人(フッサールの言葉=概念)なのは、こういう記号化された人間?が「日本国の象徴であり、日本国民統合の象徴」(憲法1条)だからです。
日本人もみな豊かな人権をもつ魅力ある私になりたいものですね。否、ならねばです。ルネサンス。
「明治政府がつくった天皇という記号」pgf は、国民の必読文献です。
武田康弘(哲学者=恋知者)
疎外感の克服とか、「他者承認」のためではなく、好き、どうしても好き・・・「自己承認」の哲学だ。それこそホンモノ。
大谷翔平も藤井聡太も他者意識ではなく、純粋に好きでやっている。お金や権力や名誉欲とは無縁。ほんものは穢れがなく、気分がいい。恋知も同じ。好きだから。Love of thinking 知る、調べるよりも、考えるに恋してる。
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何をするにも、憧れ心が一番であり、自己実現というのはおかしい。
自己実現とはエゴイズムと同義語だ。
私が想うのはエロース豊かな善美の世界。自我とは無縁だ。私の悦びが価値をもち創造性を発揮するのは、自我が終焉したときのみ。
世間を気にし、格好をつけ、上手くやろうとする、
私が想う善美へまっすぐに、ではなく、他者承認に怯える他者承認の哲学を抱え持つからこそ自己実現などと言うのです。まっすぐに自己承認に向かえば、自我=エゴではなく、善美への扉が開きます。自我の終焉は、何よりも生産的な生をもたらします。
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わたしは、自由がなければすべてなし、という心の声に従って生きてきた。ますます強くそう思う。自由な精神がなければ、何があっても、無意味だ。自由=自我からの解放がないと創造はなく、生の価値は生じない。
『自由』とは、所有(知識・履歴・財産など)に価値を見る考え方・生き方とは正反対ですので、自我主義とは無縁です。自由でないと生活も仕事も創造性をもたず、惰性態にしかなりません。残念なことに大多数の人が自由ではなく、自分と自分ちという狭小な発想しかもちません。開かれた公共はなし。
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プロソピア(哲学と西周がドイツ語から訳したが、それは明らかに誤りで、正しくは恋知)は、私=人間を通して、社会も世界も知ろう努力します。ですから、宗教の独断とは次元の異なる健全な知です。みなが恋知者となるのがほんとうです。地上の支配者をはるか下に見下ろします。
【飛ぶエロース】 テラコッタ(素焼)人形 ルーブル美術館蔵
武田康弘
8月9日(水)恋知サロンでは、最高の彫刻家=【木内克】の作品と思想と人生を感じ知ろうと思います。
写真は、fb(クリックで飛びます)をご覧ください。
木内 克(きのうち よし) 1897年~1977年
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思うに、1887年(明治10年)ごろイタリア人ラグーザから直輸入した西洋彫刻の手法を、工芸若しは巧芸的にしか理解出来ず、いまだにこの方法を踏襲してはばからない彫刻界の現状がある。
ロダンが紹介されればロダニズムに興奮し、渇仰し、グレコ・マンズの皮膚づくりの彫刻が流行すればすぐ飛びつき、また、ヘンリー・ムア―に食らいつく。
これではいつまで経っても、ヨーロッパの学習から離れられないだろう。
木内克は、在パリ時代多くの日本人部落の作家たちから「10何年もルーブル美術館通いなんて木内の頭は変になっているんじゃないか」と影口されていたという。
いくら嘲笑されても木内克はお構いなく、それが身上のマイペースで、ゆっくりゆっくりルーヴルの宝の山に見入っていたのである。
そして、ヨーロッパ近代美術の思想の本流は「人間本位」「精神本位」にあることを突きとめた。
また、作家というのは絶えず自分を創り続けるということに意味があり、他の模倣や真似はナンセンスだということを身につけて、1935年12月2日、帰国した。
木内克は満州事変、太平洋戦争というこの国の無謀な戦争拡大から敗戦まで、長い不遇時代を経験するわけだが、ただの一度もそれに屈することなく、困窮に耐えながら作品はぞくぞくと創りつづけていた。
それは1948年第2回新樹会に招待され、突如として衝撃的なデビューとなって人々を圧倒した。激しいポーズのさまざまな裸婦像、テラコッタの新鮮な出現。どれひとつとっても、今までの日本の彫刻界にみられない量塊表現。ほとばしる生命感の奔流にわたしたちは感動した。木内克芸術はラグーザ以降、はじめて日本に近代彫刻の基盤をつくり、近代彫刻の花を咲かせた。木内克ほど強烈な個性表現にまで高めた作家はいない。
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(和田敏文 1951年)
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わたしの生まれる前年に書かれた和田さんの「DESSIN」解題は、いまなお新しく、この72年間、何も前進していないことが分かります。
彫刻に限らず、思想・哲学も同じで、「これではいつまで経っても、ヨーロッパの学習から離れられないだろう」は、真実です。さらに、日本人は、に置き換えても同じです。
「作家というのは絶えず自分を創り続けるということに意味があり、他の模倣や真似はナンセンスだ」 作家を人間は、と一般化しても同じです。
武田康弘
朝倉に学び、ブールデルに学び、独立して『ルーブル美術館』を学校とした木内克(きのうちよし)は、ギリシャ・アルカイックに惚れ、その彫刻の精神を己のものとして、84歳の晩年まで衰えることなく制作を続けた偉大な彫刻家でしたが、
彼がつくった蝋型人形(ローマで制作の51点)の写真集に感動しましたので、昔の本ですがご紹介します。
なお、木内は、ルーブルにあるたくさんのラコッタ(素焼)の人形に、たいへんに感心・感動して、もっとも有名な「エロース」【飛ぶエロース】像をはじめ、多くのテラコッタを毎日のように通い、見続けたのです。日本人で最初にテラコッタ制作技術を身に付けて、帰国後に多くの作品を制作しました。
(紀元前の制作で「飛ぶエロース」像・ルーブル美術館所蔵)
彼は、古代ギリシャの偉大な精神をテラコッタに見たのでした。
「よくタナグラ人形とよぶ人がいるが、あれは間違いだよ。テラコッタは人形なんかではない。あくまで彫刻だよ。小さな像の頭一つでも、大きな彫刻と同じ仕事がしてあって、図太く、弱さがない。わずか20センチほどの像でありながら、すごく大きく感じさせるんだよ」
その最も有名なのがエロースの像(プラトンの学園「アカデメイア」の主祭神)です。
以下の「エーゲ海に捧ぐ」という写真集は、テラコッタではなく、蝋型人形ですが、自由で躍動的な女性像、木内が言うように「草書のよろこび」に満ちたものです。
木内克(きのうちよし)
フジGFX 50SⅡ 35-70(35mm側)上の2枚 撮影・武田康弘
この2枚は、ソニーRX‐1R ゾナー35mmF2 百代撮影。
なんと、この山桜の周囲は、5メートル8センチ!
武田康弘
野球は、小学生のとき、子どもだけで草野球を毎日楽しんだ。
装備もなしで空き地に集まって人数も時々で変わる~~、とっても面白かった。
そんな純粋な楽しみと世界の大会がなぜか結び付いた。草野球でしか通用しないはずの二刀流=大谷翔平が世界最高の活躍!!全身からよろこびがいっぱい。
物凄い試合の連続に感動してしまった!
最高は何でも草○○なのでしょう。
武田康弘