思索の日記 (クリックで全体が表示されます)

武田康弘の思索の日記です。「恋知」の生を提唱し、実践しています。白樺教育館ホームと共に

人事院谷総裁へのエール(古林治)と、それへの武田の返信

2009-02-05 | 日記

以下は、古林治さんからのメールです。
その後にわたしの返信を載せます。
2月2日と、1月28日のブログの続きです。


「人事院の第三者機関としての独立性、中立・公正性についてネットで少し調べてみたのですが、
その基本理念についての記述は見つかりませんでした。労働基本権についての話や枝葉の話ばかりです。
ですが、どう考えてもその底流には、『より健全な民主制を維持発展させていくためには権力の分立が不可欠だ。』という原理があるように思えます。

このあたりの説明をもう少ししてもらえるとうれしいのですが。
その基本の原理が了解できれば、次のことも明瞭になっていくと思えるのです。
・谷総裁が憲法を持ち出して人事院のあり方を説明したり、中立・公正を強く訴えた理由。
・『国家公務員の幹部人事を内閣人事局に一元化する』ことの危険性。
・現・人事院の抱えている問題とあるべき姿。」(古林治)
―――――――――――――――――――――――――――――――

古林さんのメールにお応えします。

今日のブログ(「自他問題への結語」)にも書いた通り、A・「理念次元」がなければ、B・「現実次元」の話も意味付かないのですが、この認識・両次元の立体視がないのが、日本人の現実です。

とりわけ受験知のチャンピョン(試験秀才)は、頭の働きが平面化しているために、物事の本質を見ることが苦手です。単なる事実の積み上げ=Aの次元の追求をしないで現実認識をしようとするために、意味論や本質学抜きの事実学へと堕落します。

「人事院」にしても、その存立意味・価値を曖昧にしたまま日々の業務をこなしていたに過ぎないのは間違いありません。何故、何の為に、から逃げてきたのです。
根源的怠慢ですが、これはどこも一緒です。ふつうの多くの人が納得できる(腑に落ちる)レベルまで、理念を鍛え、分明にすることがないのです。自分自身の生き方=考え方がそこまで煮詰まっていない証拠ですが、これは、ひとり人事院総裁の問題というのではなく、いまの日本人の知的構造欠陥=「東大病」という歪みです。

古林さんが最後にあげている要望は、まったく正当なものと思います。それに十全に応えるのは不可能でしょうが、この方向で谷総裁には出来るだけの努力をしてもらいたいと思います。戦前への逆行(内務省化)を防ぐ闘いが出来る立場にいるのは、いまのところ彼なのですから。


武田康弘
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自他問題への結語

2009-02-05 | 日記

他者のよろこびをおもう私、
他者のよろこびに配慮する私
他者のよろこびのためにと考える私、
そういう心であるとき、私は楽しくなり、充実し、幸せを得る。
自他を対立的に考えると、自他は共によろこびを失う。

もちろん、現実次元においては、自他の激しい対立があり、私を圧殺・黙殺しようとする他者も数多く存在する。
そのような者とは毅然として闘わなくてはならないし、闘うべきである。

しかし、一番深いところ、哲学の中心=理念次元においては、自他は共に生きたときにのみ幸福はえられるという原理(共福)を深く自覚していることが絶対に必要だ。
それなくしては、対立・闘いは、ひどく不毛な営みにしかならない。

昔からいつもわたしが言っていることだが、
(A)理念(ソクラテスの言を借りれば「恋する心」)の次元と、
(B)現実(ソクラテスの言を借りれば「恋しない心」)の次元
この二つの次元の違いを自覚し、その双方を立体的に知り、位置づけることが欠かせない。
(A)理念次元のない(B)現実次元とは、人間の生きる意味が元から消去された世界でしかないのだ。

わたしは小さいときから他者への配慮をごくふつうにしてきたが、それは、父親から無条件で愛された経験から来ていると思う。「理念」の強要ではなく、「心身全体による愛」こそが、自他への愛を生み、人間の生きる原理につく「よき理念」もつくるのだ。


武田康弘
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