思索の日記 (クリックで全体が表示されます)

武田康弘の思索の日記です。「恋知」の生を提唱し、実践しています。白樺教育館ホームと共に

爬虫類のような戦闘脳=上下・勝負の人生に陥りやすい日本人。気づかずに一生終われば幸せかな?

2019-07-27 | 恋知(哲学)

 日本語は、相手を呼ぶとき、自分を呼ぶとき、いつも必ず、上か下かを意識しないとなりません。この言葉の使い方は、無自覚領域にまで入り込んでいて驚きます。その実際のありようを説明したのは、「ことばと文化」(岩波新書)で、すでに古典的な書です。

 自分と相手のどちらが上か下か、というふだんの意識は、勝つか負けるか、という意識と重なります。勝ち負け、勝負、上下意識、目上、目下、というのは、人間的な柔らかさ、豊かさとは異なり、おれが上だ、お前を下にする(あるいは逆のヘリ下りでどちらも同じこと)、となります。

  それは、日本人の好戦的な気質そのものです。隣の家より上!?下!?とか、他人の不幸は蜜の味、とかの日本人の意識は、爬虫類の戦闘脳のようです。学習もお勉強と呼び、勝つか負けるかであり、経済も勝ち組vs負け組であり、ほんとうの助け合い=公共など不可能です。公共まで勝ち負け(笑)。

 スポーツも楽しみではなく、とにかく勝負ですし(スポーツという英語は元々そういう意味ではありません)、知的営みや芸術的営みも、勝負!!(笑)です。日本には受験勉強しか存在せず、それは全然知的ではありませんが(クイズの知にすぎない)、それに気づいている人も稀です。アインシュタインなどの天才は、日本の基準で測れば、落ちこぼれか不良です。

 どうやら、人生は、実存としての意味充実とは無関係で、内的豊穣とも無関係で、こころの内から湧き上がる自然なよろこびとも無関係のようです。上か下か、勝つか負けるか、という爬虫類のもつ戦闘脳に依拠した生を貫くのがわが日本人!!?? 確かに、よく言われる「政治的」国民(人を右とか左とか色分けし、政治の議論をするのはご法度!ーゆえに底なしに政治的)ですね。

 なにもかもシステム化され(天皇・元号システムはその頂点=象徴です)「システム 内 人間」ですから、枠組み・システムをそれ自体を意識し、変更しようなどとは考えもしません。従順な生徒、従順な会社員、従順なお役人、従順な〇〇です。上下意識と勝ち負け意識で固められている日本人には自由(実存としての生)がありません。あんたより上よ!弁えなさいよ!とお上品な顔をして声に出さずに言う(笑笑)。それがわが日本人の正体かな。あれれ、なんとも愚かで不幸ですね、でも気づかないで一生終われば、幸せ?



デルフォイの神殿跡に座るわがソクラテス教室のソクラテス爺。
撮影は、昨年、染谷裕太君



武田康弘

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1 コメント

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Unknown (なな)
2019-07-31 21:50:07
曲学阿世の徒が、大きな顔をしている。
少しばかり他人より良い生活を送るために、受験勉強を頑張ると言う事が、曲学阿世の徒の配下になる事と敏感なものは感じて、知的なものから距離を取ろうとする若者たち。
私の目には、そんな光景が見えます。
曲学阿世の徒の影響は、昔は宮廷の中の世界中心でしたでしょうが、現代は原発やリニアで生存環境にまで多大な害を与えるのですから、座視してはいけないと心から思います。
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