思索の日記 (クリックで全体が表示されます)

武田康弘の思索の日記です。「恋知」の生を提唱し、実践しています。白樺教育館ホームと共に

ふつうの市民にとって、自民党の「天皇現人神の国体思想」は、不倶戴天の敵というほかありません。

2016-11-03 | 恋知(哲学)
国民主権の民主政つくに市民にとっては、
自民党の国体思想(天皇現人神の靖国思想)は、不倶戴天の敵というほかありません。
 
人間性の豊かさ=個々人の自由と魅力に基づく人生を妨害する「国家主義」(明治政府が作成した天皇教=国家カルト) とは、公共悪であり、到底容認できません。
 
しなやかに囚われなく楽しく生きること、自由な想念を広げてのびのび生きることを妨害するのは、根源的な悪です。
 
エロースの生、自分自身の内なる善美への憧れを根本的な座標軸として生きる人は、ほんものの人間ですが、外なる規範に従わせようと誘導ないし強制する人は、表層的に善人を装っても、大元が悪です。
 
その種の人間群に占脳=染脳されたくない人は、自身のフィロソフィーをもつ営みが大切。それが恋知という発想ですが、ブッダの根本思想である自帰依ー法帰依、唯我独尊とも重なります。


ブッダとソクラテス
  
 
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2 コメント

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こんにちは (いつも興味深く拝見しています)
2016-11-03 13:55:20
自然災害に相対したとき、人は「これは自然の摂理だから仕方のないこと」と、自分や他者や世界を責めずに有りのままをある程度受け入れます。
国体思想を定着させるということは、「これは決まりだから」「昔からこうだから」「こういうものだから仕方のないもの」と、「人の作ったもの」でありながら「あたかも自然」であるかのように思わせ、理を思考する前に、良質を追求する前に受け入れさせる素地を民心に残しておきたい、という為政者の意図があるからではないかと感じます。
社会の構造の中に「民意ではどうにもならない」というアンタッチャブルな部分を残しておいて、社会や国を自由にデザインする気概を持たせない、持たせたくないという意図。
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深く納得です (麻生博美)
2016-11-03 15:03:35
私は、囚われて生きるなんて、もう嫌なので、どんなに姑息で用意周到な手立てで人間の生をこわされそうになっても抗い続けようと思います。大変なことでもあると実感していますが。まして国家レベルの権力が不当に暴走するなんて許されない公共的大罪ですよね。だけど、いえだから、そう、せっかくだから日々たのしくもありたい、それにはやはりフィロソフィー(恋知)は大切で、狭くなりがちな自分の思考をひろく保つこころみを繰り返し繰り返しています。ソクラテス教室の恋知の会や思索の日記は私の心の眼のアンテナの向きを正すきっかけになることが多々あり、ありがたく思っています。今のような日本社会の危機的状況が続くなか、若い世代の人たちをふくめ、ブレることなくまっとうな主張と生き方をしている方々を眼にする度に、心の底から共感すると同時に応援していこうという気持ちがわきあがってきます。
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