国民主権の民主政つくに市民にとっては、
自民党の国体思想(天皇現人神の靖国思想)は、不倶戴天の敵というほかありません。
人間性の豊かさ=個々人の自由と魅力に基づく人生を妨害する「国家主義」(明治政府が作成した天皇教=国家カルト) とは、公共悪であり、到底容認できません。
エロースの生、自分自身の内なる善美への憧れを根本的な座標軸として生きる人は、ほんものの人間ですが、外なる規範に従わせようと誘導ないし強制する人は、表層的に善人を装っても、大元が悪です。
その種の人間群に占脳=染脳されたくない人は、自身のフィロソフィーをもつ営みが大切。それが恋知という発想ですが、ブッダの根本思想である自帰依ー法帰依、唯我独尊とも重なります。
ブッダとソクラテス
ブッダとソクラテス
国体思想を定着させるということは、「これは決まりだから」「昔からこうだから」「こういうものだから仕方のないもの」と、「人の作ったもの」でありながら「あたかも自然」であるかのように思わせ、理を思考する前に、良質を追求する前に受け入れさせる素地を民心に残しておきたい、という為政者の意図があるからではないかと感じます。
社会の構造の中に「民意ではどうにもならない」というアンタッチャブルな部分を残しておいて、社会や国を自由にデザインする気概を持たせない、持たせたくないという意図。