勉強してしよろこんでるなんて、あんたの塾おかしいんじゃない?
帰ると、元気になってる! 塾で遊んでるんじゃないの?
そんなに行くのが楽しいなんて、どうせ遊び塾なんでしょ!!
塾の帰りも疲れてない、笑ってる、そんな勉強しかしてないのに、今度の試験で学年9番、おかしい!うちの子はカンニングしていると思う、と言いに来たお父さん(日航のパイロット)もいました。
勉強は辛くて苦しいもの、いやなことに耐えるのが勉強、よろこぶなんて不真面目の証拠!!
まだまだ、日本という国と、日本人は、超がつくほど遅れてますですね~~~~~。いつまで続くのでしょうか、「幸福をつくらない日本というシステム」。
電車の中もどこも「生きるよろこび」なんて顔はなし、ふ~~~~~~。あるのは紋切型の外面笑顔だけ~~~~~。
フィロソフィ=恋知の営みが大切です。のびのび楽しく、イキイキ自由に、堂々と囚われなく、「私」として生きるには。
なんのために生きてるの?
武田康弘 白樺教育館・ソクラテス教室
いつも深い知性と哲学に裏打ちされた武田先生のブログを、いつも楽しく拝見しています。
本来、勉強もスポーツも音楽も自分の頭で考え、明るく楽しいものでなくてはいけませんのにね・・・
(特に子どもの頃や学生時代は。)
少し前にNHKで放送されたとある特番で、私はおぞましいものを見てしまいました。
確か街の様々な人に「あなたにとって“生きている”と実感する瞬間はいつですか?」と問う番組だったと思います。
そこに登場した、バトミントンに打ち込む小学生の少女がこう答えたのです。
「私が生きている、と実感する瞬間は人に怒られる瞬間です!
怒られた後は、前よりもショットが正確に打てるようになるなど、技術が向上し、嬉しくなるからです!」
おそらく、バトミントンのコーチから毎日、叱られながら育てられているのでしょうか?
私はこれを見た後、彼女はこの考えをずっと変えずに大人になって行くのだろうか?
違う方法もあるのですよ、欧米のスポーツ指導者はこのように考えていますよ、と人から紹介されても「叱って育てるのがニッポンのやり方です!」と、はねのける女性になってしまうのか?
・・・と思ってしまい、愕然としてしまいました。
「物事に打ち込み、極めようとするなら褒められてはならぬ。
喜びや歓喜の情を断ち切らなければならぬ。
苦しみにも辛さにも痛さにも耐えねばならぬ。
上の人には決して口答えをしてはならぬ。
自分の頭で考えてはならぬ。
体罰も愛の鞭だと感激し、喜んで享受しなければならぬ。
ならぬことはならぬ。」
ニッポン人は子どもの頃からこう刷り込まれているのが現状だと思います。
某旧藩の什の掟風にまとめてしまいましたが、どうして日本人はこの悪しき伝統いつまでも引き継ぐのでしょうか・・・?
もし東京中心部で 同じような塾をご存知でしたら教えていただきたいです。よろしくお願いいたします
読者の方で知っている方がいらっしゃれば、教えてあげてください。