思索の日記 (クリックで全体が表示されます)

武田康弘の思索の日記です。「恋知」の生を提唱し、実践しています。白樺教育館ホームと共に

清瀬保ニのピアノ曲と少女のことば。

2013-12-12 | 教育

 9日の月曜日、小学生クラスで4年生の晴花ちゃんが一人になった時間に、清瀬保二(きよせやすじ)さんのピアノ曲をかけました。
花岡千春さんによる『清瀬保二ピアノ独奏曲全集』からです。

 
  漢字の練習をしながら、

 

 晴花ちゃん:「誰の曲?」

 わたし:  「清瀬保二という人だよ。」

 晴花ちゃん:「生きてる?」

 わたし:  「ううん、もうだいぶ前に亡くなったよ。」

 晴花ちゃん:「わたし、この人に会いたかったな。」

         「この人と握手してみたかった。」

 

        「モーツァルトみたい。」

        「これ、弾くの難しいよ。弾いている人たいへんだと思うよ。」

 
わたし:     「これが清瀬さんの写真だよ。」

 晴花ちゃんは、黙って、にこやかに、興味深そうに眺めていました。

 
 真っ直ぐで可愛らしい晴花ちゃんは、淡々と、でも、気持ちを込めて上記のように話したのです。

 

 聞いていて、わたしは、鳥肌が立ちました。

素朴で優しく深みのある音楽・土着性を感じさせる日本的な旋律ーーー
ーーこの曲をつくった人と「握手してみたかった。」という感想を超えた言葉には、清瀬作品の本質をひとことで表現されたようで、電気が走りました。

 旋律も和声もモーツァルトと似てはいませんが、簡明な響きは、確かに共通します。

 音数の少ないシンプルな曲を聞いて、「この曲、弾くの難しいよ。」と言ったのにも驚かされました。プロのピアニストがどう弾いたらよいか、分からずに難儀するのが清瀬作品だからです。

 西洋音楽の体系を、まるで受験勉強と同じように教育される音大生は、自分自身の心身の内側で深く音楽を捉えることが苦手ですので、「私」の内面から発する清瀬の独創を前にしてとまどうのです。
 それを、「弾いている人、たいへんだと思うよ。」とさらりと一言。


う~ん、参った(笑)

 

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