あなたは、何のために勉強しているのですか?
高校(大学)入試のためです。
入るのが目的なのですか?
ええ、そうです。
それなら、勉強する意味はありません。
では、高校(大学)に入るのは何のためですか?
大きな会社に入るためです。
それなら、勉強する意味はありません。
こういう人ばかりなので(大人が子どもにそう思わせている)、もうじき日本はおわります。否、すでにおわっているかな(笑)
タケセン
あなたは、何のために勉強しているのですか?
高校(大学)入試のためです。
入るのが目的なのですか?
ええ、そうです。
それなら、勉強する意味はありません。
では、高校(大学)に入るのは何のためですか?
大きな会社に入るためです。
それなら、勉強する意味はありません。
こういう人ばかりなので(大人が子どもにそう思わせている)、もうじき日本はおわります。否、すでにおわっているかな(笑)
タケセン
http://blog.goo.ne.jp/momotarou78/e/26a258c6af695b18d0c124190e63657a
なぜ、勉強するのか。受験のためではありませんね。
その遠因は「人生に余裕が無い」ことだと思いますが、
多くの日本人の大人が持つ人生哲学の中から、精神的な余裕(心理的な余裕、思想的な深み、俯瞰的な視点含む)を持つことの重要性が蔑ろにされている、と感じます。
「何の為に勉強するか」
そこに思想や哲学が存在しないから、社会における教育の力が充分に発揮されないし、市場原理主義の中での単なる自己投資の一手段というものに貶められてしまう。
経済的に成功しなければ社会における負け組となり、余裕が無いのは当たり前、となってしまう。
また、世俗的利害を超えた理や学問の追求の為(つまりは平等に万人の為)の勉強。
それを社会の中に内包することが、どれほどこの社会の価値を高めるのかを感じることもできない。
卵が先か鶏が先か、ではありませんが、悪循環ですよね。
反面、諸外国の中には経済的な豊かさや治安の良し悪し等とは別に、経済状況とは関係無く精神的な余裕や哲学的な深みを重視し、それを育む教育を重視する思想が文化の根底にある、と感じる国や地域がある気がします。北欧の国々とか。