スポーツをしているみなさんに聞きました。
あなたは、何のためにスポーツをしているのですか?
競技で勝つためです。
わたしは応えました。
それなら、スポーツをする意味はありません。
勉強も、スポーツも、芸術も、研究も、仕事も、はては日々の生活まで、なんでも勝つためにやる!?!? それで当然という顔をします。おバカなテレビの影響も大きい。
ノーベル賞の取り方!を講演した、東大教授もいました(笑)。
生きるということがうっぺらになっている証拠です。内的充実=「私」から始まる意味の濃い生を知りません。
末法の世、というのでしょうか。
武田康弘
以下は、川瀬さんとわたしのやりとりです。
川瀬 優子
スポーツなどの良い結果はワタクシも期待したいです。。但し、結果が伴わなくてもダメ❗️とは思いませんが。。うわべばかり気にする国民体質に操作された結果なんでしょうか⁈こう言う体質はやはり戦争美化などの話を受け入れ易くなりそうですね。そして物事の本質を受け付けられなくなると思います。
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武田 康弘
うん、そうですよね。どうもわが日本人は、内側から、内的に、内発的に、という人間の人間的生の基本=絶対を知りません。「人間を幸福にしない日本というシステム」--本の題名通りですね。
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川瀬 優子
タケセンに出会ったあの頃はウォルフレンの本も只々、ビックリするだけで意味が解らなかったです〜\(//∇//)\でもタケセンが根気良く話をして下さり、随分とスッキリしてきました( ̄^ ̄)ゞてへっ。。やっとです〜♡
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武田 康弘
確かに、日本人は、日本人の強固な常識(悪しき惰性態)から抜け出るのが容易ではないですね。明治以来の洗脳=型ハメ=形式と序列の支配は「空気」にまでなっていますので。
なのでしょうね。
人道思想や哲学が発達したいまの世の中においてもまだ、勝敗によって付けられる処遇差は、多くの子供達が盲目的に「勝ち」を目指してしまうほどに残酷なものなのでしょうね。
また、その「単純な図式的格差」を必要としていて、万人が幸せを手にする手段が存在してしまったら困る、経済的な投資を関せずに、簡単に人生や喜びの多様性や深みを獲得してもらっては困る、という悪意がこの社会のどこかに存在して人類の精神的進化を阻害しているのかもしれませんね。
自分は、人間の持つ遊び心の中に収まる「勝ち負けを楽しみたい」という感情は否定しません。トランプとかオセロとか好きですし。
もう神経衰弱では子供に全く勝てませんが(笑)
幸せに多様性があり、全ての人間がそれぞれの幸せを互いに尊重した上での遊び心ならば。