「言語ゲーム」としての近代西欧哲学を否定し、乗り越えて、新たなイマジネーションの哲学を打ち立てたジャン・ポール・サルトルは、「実存は本質に先立つ」という根本テーゼで、キリスト教という唯一神の思想を根こそぎにしたのですが、それを生みだした母体=哲学原理が、処女作「イマジネール」(1936年・31歳)なのです。いまの大学の哲学科の教師たちは、それに無自覚ですが、このイマジネールの原理こそが、キリスト教誕生以来の全西欧哲学の息の根を止めた思想革命だったのです。その基盤の上に、大著「存在と無」は書かれたのであり、イマジネールという哲学革命を知らずに「実存は本質に先立つ」を主張すると、それは一つの「宣言」というレベルに留まり、思想の原理にまではならないのです。原理的思想とイデオロギーの区別がないのが今の哲学世界で、それはあまりもお粗末ですが、お粗末の自覚がありません。
41年前の今日4月16日未明(現地時間では15日)にサルトルは死去しましたが、彼の生きた哲学の射程の長さ、豊かさは、まだまだ知られていません。その思想は未来的で永遠に開かれた思想と言えます。1966年に『シュピーゲル対話』で、ナチの哲学者のハイデガーが、自らの形而上学的存在論(サルトルは「現象学的存在論」)の敗北宣言をして、一神教=キリスト教をバックボーンにもつ(唯物論はその裏返しで同じコインの表裏)西欧哲学の形而上学的存在論=人間存在と自然の存在をトータルに説明しようとする神学的哲学の終わりを示したのとは対照的です。
古代アテネの「汝自身を知れ」という卓越、ブッタの神という概念を持たず、自己に帰依する(自帰依ー法帰依)という卓越と重なるのがサルトルの発想と態度です。西欧を超え、全世界的な深さと豊かさをもつ彼は、ノーベル賞を断固として拒否しました。人間格付けを認めない態度は、真に優れた思想の証です。
武田康弘