思索の日記 (クリックで全体が表示されます)

武田康弘の思索の日記です。「恋知」の生を提唱し、実践しています。白樺教育館ホームと共に

 日本人は、総体としては、人間になっていない。

2019-07-30 | 恋知(哲学)

 

 

 勝ち負けで生きる日本人、学歴が、名前が、経済力がすべてという日本人は、とても「人間としての生」にはなっていません。

 

 内的世界、内的豊穣、内的充実、内から湧き上がるものを持たないで、外なる価値意識に縛られて生きるいまの日本人は、個人としての精神、自分の思想を持てない存在で、自己の精神に誇りをもつ存在=人間としての生という次元にありません。

 

 哺乳類に共通の優しい目をもたず、無表情で、爬虫類のような攻撃性か、あるいは、上位者に従う奴隷のような従順性のどちらかですが、両者は、一つメダルの表裏で、同じことです。内面世界=精神世界がないのです。 すべての価値が恐ろしいまでに「単線的」で、人間性の面白さ、楽しさ、豊かさをもたらす「精神の自立」がまったくありません。深く意味ある話などできません。ただ少しでも金のある生活をしようとアクセクしているだけの存在です。金のある人はただ生活が楽なだけで、「いたづらに生死を繰り返すのみ」(ブッダの言葉)です。

 

 金メダルのために、多額のお金のために、世間価値の上位に行くために、勝つために生きる、それしかない、そういう人間であっては、自分が生きる意味(人間性の豊かさ=魅力)という一番大切な価値をもちません。

 

 以下は、一昨日のBlogですが、ぜひお読みください。
爬虫類のような戦闘脳=上下・勝負の人生に陥りやすい日本人。気づかずに一生終われば幸せかな?


人間になる自己の精神をもつ誇れる存在として生きようではありませんか。 恋知の生を。

 


 2019.7  武田康弘(67才)

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