『恋知』-「私」の生を輝かす哲学の営み
の第一章を白樺教育館のホームページにアップしましたので、ぜひご覧ください(クリックして下さい)。
日本の現実を踏まえて、ひろく人生問題や社会問題について考え・吟味するには、わが国を近代化した明治について検討することが必要です。
明治政府は、
日本の近代化のためには、皇室を中心として国民を一つにすることが条件だと考え、「天皇教」と呼ぶべき国家宗教(靖国思想)をつくり国民に徹底しました。
したがって、近代天皇制とは何か?その意味を考察することは、日本社会に生きる「私」が、考え方・生き方をしっかりさせる基本となります。
よく考えて、中味の濃い人生・よろこびの多い人生を歩むには、自分が生きる場の精神風土を知ることがとても大切です。
武田康弘
まず、
どこまでが日本人なのでしょうか?
遺伝的な話しになれば、線引きのしようがありませんし(我々は混血していて純粋な日本人という種属は存在しませんから)、また、ある期間以上の在日なら日本人とするのか?国籍獲得者のみを日本人とするのか?
例えどのような定義をするにせよ、「日本人だから、天皇制を認める」というのは、自己感情に基づく特定の考えの絶対化であり、論理にはなっていません。キツイ言い方で済みませんが。
次に、
どのような天皇制ならば認めるのでしょうか?
明治政府のつくった現人神としての天皇・皇室ですか?
現憲法の国政に関する権能を有しない象徴としての天皇ですか?
それとも歴史の名残りとしての天皇家ですか?
わたしの場合は、三番目の名残りとしての天皇家は認めています。
ただし、「形と序列の文化=生き方」は個々人のよろこびを奪い、中身・内容の豊かな文化=生き方を阻害しますので、変えていかなければなりません。
また、現在の天皇制は皇室の人々の人権を奪っていますので、たいへん不味いのです。これについては、明仁さんや美智子さんにも慕われていた宮内庁記者・板垣恭介さんの著書をぜひお読みください。
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ミクロ的立場にたって自己都合に解釈すれば日本人であることを記号で捕らえることは可能ですが、マクロ的に捕らえればそのような自己の価値観で気に食わないから認めないという価値観はかなり身勝手な行為です。私が今いる(価値観や思考も含めた)のは過去の歴史があったからです。天皇はそれらの総合的な象徴として存在します。あなたが日本人を記号ではなく日本人として捕らえるなら天皇を批判するのはお門違いです。
私は現在の象徴天皇に賛成ですが、今のようにマスコミに出るのは反対です。もう少し神秘的存在になるべきだとかんがえるからです。
「私が今いる(価値観や思考も含めた)のは過去の歴史があったからです。天皇はそれらの総合的な象徴として存在します。」は、
あなたの解釈です。
日本人の歴史の象徴が天皇という存在だ、という思想には異議を唱える人が大勢います。過去にも現在にもです。
日本人であれば、あなたと同じように考えなければならないとしたら、日本には「思想及び良心の自由」はないですし、歴史を批判的に検証することも不可能になります。
また、「日本人を論じる上で論理という思考は間違っていませんか?」
というのであれば、物事をしっかり考えることができません。論理の否定は、特定の主義や感情の絶対化となります。