★さちゅりこん――渡邊史郎と縦塗横抹

世界が矛盾的自己同一的形成として、現在において過去と未来とが一となるという時、我々は反省的である。(西田幾多郎)

舊字は私を狂わせる

2010-09-01 17:35:03 | 文学
論文を書いていて気になるのは、文章を引用するとき漢字を旧字にするか新字にするかである。

仮名遣いは基本的にそのままで引用するのに、旧字は新字に直すことがある。

そろそろそれはまずいかなと思い始めた。

梶井基次郎の「檸檬」は、この字でなければならない。「レモン」じゃだめだ。これは漢字とカタカナの関係じゃないかというかもしれないが、先日引用した「楕円幻想」はもともと「惰圓幻想」なのである。「円」という字のスカスカさ加減は「レモン」と同レベルと思われないだろうか。

先日まで書いていた論文では、事情があって、新字に直してしまったが、引用された文章を眺めていると、明らかにそのひらがなと英語と画数の多い峻厳な旧字のバランスとリズムにおいて、文章の表情が作られていることが分かるのだ。私は、新字に直していてほんと狂いそうになったよ。これはだめだ!

こんな細かいところには神経が過敏になってるのに、論理の方はゆるゆるになるのは私の悪いところである。