★さちゅりこん――渡邊史郎と縦塗横抹

世界が矛盾的自己同一的形成として、現在において過去と未来とが一となるという時、我々は反省的である。(西田幾多郎)

「カルメン故郷に帰る」の芸術大衆化っぷり

2011-01-13 05:03:27 | 映画


「カルメン故郷に帰る」をちょっと観なおす。

「銀座カンカン娘」でもそうだが、レビュー(裸踊り?)や酒場での歌唱を思い切って「芸術」と言ってしまいましょう、という主張がまことしやかに演じられるのが興味深い。いまみると、実際に戦前、オペラ歌手から発声を習ったという高峰秀子をはじめ、案外まともに歌っているので、ちょっぴり左翼色のある戦後の「芸術大衆化」(!)というコンセプトが、珍味で面白いものであったことを思わせる(笑)。それは、その後のいわゆるポピュラー・ミュージックや演歌とは別種のヘンテコなものである。カルメンが浅間山の麓でいきなり踊り出すときにかかる音楽が前衛的すぎると思ったら、作曲が黛敏郎だしね……。これに較べると「サウンド・オブ・ミュージック」の草原踊りなど、児戯に属する。というわけではないが、どうみても、カルメンは、頭がいかれたストリッパーには見えぬ。この程度で頭がいかれているのなら、これが普通に見えてしまう我々は本当に「総白痴化」しているのかもしれないのだ。

まあ私は、やや優等生的な「カルメン故郷に帰る」より、相方の子どもを国会議事堂前に捨てたり、前衛芸術家に恋したり、最後労働運動に加わったり(←そうだったっけ?)する、やりたい放題の「カルメン純情す」の方が好きである。





結論:秀子様最高