「A League of Their Own」は好きな作品である。学生の卒業論文を読み続けて発狂寸前な場合、ときどきこれを観るのである。戦時中、実際にあった女子大リーグの話である。日本がアメリカに負けた理由がここにも(というのは冗談だが)。敵国のスポーツだからといって野球をやめてしまったというところに、我々の国のなんともいえぬ頭の悪さがある。そんな余裕のない精神状態で勝負に勝てるかっ!我々はひとつの目標を立てると、それ以外を禁欲によってやめてしまいがちであるが、それは真面目さというより、文化的貧困、いや、頭の悪さによることは最近益々明らかになってきている。こういうあり方では、目標が頓挫したときの言い訳が現実逃避的になってしまう。まともに自らを否定しなければならなくなるからだ。かかるとき我々は尊大な自己肯定か言い訳ばかりするようになるであろう。自慢したい過去か消したい過去しかない人生というのは、あまりにも窮屈である。
この映画の静かな語り口は、監督が女性であるからではないと思う。回想が言い訳じみてないからである。まあ勝者の余裕というのがあるわな……。戦争も女子大リーグも消したい過去だと思ってないから、少なくとも代償行為につきまとう必死さがない。だから、アメリカがもっと戦争犯罪国家として自らを自覚するようになると、こういうよい映画も消える、かもしれぬ。
とはいえ、以上のような、壮大な事柄は本当はどうでもよい。私はテーマ曲「This Used To Be My Playground」が好きなだけだ。歌ってるのは、映画でも中堅手でなかなか上手かったマドンナである。マドンナといえば、ハレンチ学園的でPTAの敵、
アメリカの松田聖子であり、なんか「こわい」人だと思っていたのだが、とっても一流(笑)であったと思わされた曲である。やはりアメリカはしたたかだっ(←またでかい話に飛びましたっ