明日は、恋愛小説の講義の最終回である。安部公房の「他人の顔」と「箱男」がメインである。前者は最終場面、後者は《Dの場合》を取りあげる。その前に「サロメ」からはいるから、朝っぱらから銀のお盆に生首登場の予定っ。
今回の講義はちょっとたくさんの作品を扱いすぎた。文学を論じるスピードでしゃべることができなかった。やはり大学はカルチャーセンターのそれみたいな内容と構成にしてもだめなのである。もっといえば、計画通りに進んだのがよくない。計画の縛りがあるから内容に即した語りにならず、時々嘘が混じる。論文のときに窮余の策として行うややレトリックに近い挿入句とか、接続詞みたいなものである。そうすると、なによりこちらの情熱に問題がでてくる。こちらがはじめからやる気がないのなら問題ないが、そうでない場合は、最後まで内容を検討する集中力をとぎれさせない必要があるのである。そんな場合、嘘が混じったら駄目である。
野口武彦や小谷野敦の恋愛小説研究に比べても、やや概念的になったようだ。来年はもう一回勉強しなおすぜ。