人生には色々な選択肢が有ると言います。
今オンエアされてるドラマの話じゃないですけど、もし過去に戻って選択を変えることにより運命を変える事が出来たら…
という事でなく、人はどの道を通っても起こることは起こるし、どうしたって起こるべきことに導かれてしまうものだ…ということを確かめたくなり、私は30数年前に戻ってみる事にしました。
と言っても例のタクシーでじゃないですよ。
こっちは一寸ばかりグレードが高いんです。
料金? 50万円!
ウソです!でもこれに乗るのはもっと大変かも分かりません。
全てを委ねないとならない、つまり全託しなければならないのです。
名付けてZENTAXI
あのドラマの設定と違って過去の自分自身と会う事が出来…と言うより自分自身としか向き合う事が出来ないのです。
という訳で…色々あったけど全部白紙にしてと…
懐かしいなあ!やって来ましたのはJR(当時は国鉄)中野です。
北口サンモール商店街の路地に、隠れ名所のように知られていたその名も「クラシック」という音楽喫茶が有りました。
その店構えたるや、これぞ究極のアンティークと言えるもので、ドタドタと階段を上がろうものなら抜け落ちそうなくらいでした。
プツプツと針の音のするクラシック音楽の流れる店内の片隅で、何やら難しそうな本を読んでいるのが30数年前の私です。
今の私からは想像出来ないくらいまるで栄養失調のようにやせ細っていました。
―となり失礼するよ!
「あ、ハイ…どうぞ…」
―学生さん? 勉強熱心だねえ…
「い、いえこれは自分の趣味で読んでるだけですけど…」
―ちょっといい、見せてくれないかい。何々ベルジャーエフ…ほう、これはいい!
「知ってるんですか!」
―これを訳した人は小池辰雄って人だろ!
「…驚いたなあ! なんで知ってるんですか!」
―この人はね、表の顔はドイツ文学者、ゲーテの研究家なんだけど、裏の顔はもう大変なクリスチャンなんだよね。
「そ、そうなんですよ! こないだこの先生のペンテコステ集会というのに飛び入りで行ったんだけど、驚いたのなんのって…机をぶったたきながら”今の教会はなんだ!この聖霊の圧倒的事態を一体何だと思ってるのか!”なんて獅子吼してましたよ。するとまるで導火線に火が付いたみたいに周りの人がアーメンとか連呼したりして…貴方はそこの関係の人?」
―いや違うよ、あの集会は幕屋というじゃないか…手島先生の原始福音とは違う…まあ、そこの借宿に泊めてもらった一放浪者ってとこかな。
「フーン…奇遇ですねえ、僕はちょっとあの集会には躓いたなあ…もっと頭を冷やす必要があるんじゃないかなあ…それでもですね、僕はあの小池さんの本で書いてることには無性に惹かれますね。”人生において人の運命を分けるのは、絶対的なものに対し魂が砕けるかどうかだ”とか」
―…き、君ってヤツは…
「何ですか!急に…僕はそんなに感激すること言ったかなあ…」
―その言葉の重みをいずれ身を持って知ることだろう…
「何を言ってるのかよく分かりませんが…この哲学はどうでしょう、ソボールノスチって知ってます?」
―知ってるよ、普遍的共同体っていうのかな?小池さんの言うエクレシア(教会の原義、召された集まり)と通じ合うところがあるようだね。
私はこれはキリスト教という枠を超えたもの、本当の意味で普遍的なものと通じているものと理解しているんだけどね
―「そ、そうですかあ…いやあ何だか気が合うじゃありませんか、初めて会った気がしないですよ!…ところでぼくは今こんなのも読んでるんですよ、これは知らないでしょ?」
―日月神示…知ってるさ、神サマ関係の人でこれを知らないのはモグリだ
「そんなことはないでしょ!これはそんじゃそこらで手に入らないシロモノなんですから…」
―いや、Nさんの新書はどこでも見つけられる…(し、しまった、ここは30数年前だった)
「Nさん?誰?新書?まさかあ、一体誰が読むんですかね…それはともかく僕は大本で担っていた神仕組みを継承している霊的拠点を探しているんです。兵庫の但馬のあたりにもこの日月神示に似た神示を出してるところがあるんですけど、最近どうもソースというか、神の系統がオカシクなってしまったようで…」
―まあ、ゆっくりやり給えよ…君は近いうちさっきのベルジャーエフとその大本神業継承とやらの縁で、君の人生の転機となる出会いに巡り合うだろう
「まるで予言者みたいなこと言うんですね…なんですか?その出会い、転機っていうのは?」
―いずれ分かるさ、それにしても君は思想的こだわりから自由だし…又随分と目敏いんだね
「僕はトコトンまでいかない事には…どうしても僕の魂は落ち着くことが出来ないんです。これは僕自身にもどうにもならないものが有るんです
―…私にはねえ…君の中におそらく君自身の頭では分からない、なんていうか…その、サムシング、名状し難いドエライものが有るのをハッキリ感じられるよ!
「僕にも頭では理解出来ないんだけど、貴方の話を聞いてると、なんだか魂が揺さぶられるような感じがしてきてならないんです…」
―君は様々な縁を借りて自分の中で全てであって一なるものを見出そうとしているんだね…それは全て君の中のサムシングがやってることなんだよ!
「…と、ところで貴方は一体誰なんですか?とても他人とは思えないが…僕のオヤジ以上に僕みたいだ…」
―私?私は…ま、時空の放浪者とでもいうかな…
「訳分かんないが…僕はそろそろ帰らなきゃ、色々楽しかったよ」
大変だ!私は一体どうやって帰ればいいんだろう…帰り方は聞いてなかったぞう!
―君!済まんが今日泊めてくれないか、最近一人暮らしし始めたんだろう…
「エ、そんな話何時したかなあ?…ま、いいか貴方は放浪者っていうより浮浪者なんでしょ」
こうして私は選択の余地なく、彼と言う私自身のところに寄宿するハメになったのです。
(不定期投稿に続く)
今オンエアされてるドラマの話じゃないですけど、もし過去に戻って選択を変えることにより運命を変える事が出来たら…
という事でなく、人はどの道を通っても起こることは起こるし、どうしたって起こるべきことに導かれてしまうものだ…ということを確かめたくなり、私は30数年前に戻ってみる事にしました。
と言っても例のタクシーでじゃないですよ。
こっちは一寸ばかりグレードが高いんです。
料金? 50万円!
ウソです!でもこれに乗るのはもっと大変かも分かりません。
全てを委ねないとならない、つまり全託しなければならないのです。
名付けてZENTAXI
あのドラマの設定と違って過去の自分自身と会う事が出来…と言うより自分自身としか向き合う事が出来ないのです。
という訳で…色々あったけど全部白紙にしてと…
懐かしいなあ!やって来ましたのはJR(当時は国鉄)中野です。
北口サンモール商店街の路地に、隠れ名所のように知られていたその名も「クラシック」という音楽喫茶が有りました。
その店構えたるや、これぞ究極のアンティークと言えるもので、ドタドタと階段を上がろうものなら抜け落ちそうなくらいでした。
プツプツと針の音のするクラシック音楽の流れる店内の片隅で、何やら難しそうな本を読んでいるのが30数年前の私です。
今の私からは想像出来ないくらいまるで栄養失調のようにやせ細っていました。
―となり失礼するよ!
「あ、ハイ…どうぞ…」
―学生さん? 勉強熱心だねえ…
「い、いえこれは自分の趣味で読んでるだけですけど…」
―ちょっといい、見せてくれないかい。何々ベルジャーエフ…ほう、これはいい!
「知ってるんですか!」
―これを訳した人は小池辰雄って人だろ!
「…驚いたなあ! なんで知ってるんですか!」
―この人はね、表の顔はドイツ文学者、ゲーテの研究家なんだけど、裏の顔はもう大変なクリスチャンなんだよね。
「そ、そうなんですよ! こないだこの先生のペンテコステ集会というのに飛び入りで行ったんだけど、驚いたのなんのって…机をぶったたきながら”今の教会はなんだ!この聖霊の圧倒的事態を一体何だと思ってるのか!”なんて獅子吼してましたよ。するとまるで導火線に火が付いたみたいに周りの人がアーメンとか連呼したりして…貴方はそこの関係の人?」
―いや違うよ、あの集会は幕屋というじゃないか…手島先生の原始福音とは違う…まあ、そこの借宿に泊めてもらった一放浪者ってとこかな。
「フーン…奇遇ですねえ、僕はちょっとあの集会には躓いたなあ…もっと頭を冷やす必要があるんじゃないかなあ…それでもですね、僕はあの小池さんの本で書いてることには無性に惹かれますね。”人生において人の運命を分けるのは、絶対的なものに対し魂が砕けるかどうかだ”とか」
―…き、君ってヤツは…
「何ですか!急に…僕はそんなに感激すること言ったかなあ…」
―その言葉の重みをいずれ身を持って知ることだろう…
「何を言ってるのかよく分かりませんが…この哲学はどうでしょう、ソボールノスチって知ってます?」
―知ってるよ、普遍的共同体っていうのかな?小池さんの言うエクレシア(教会の原義、召された集まり)と通じ合うところがあるようだね。
私はこれはキリスト教という枠を超えたもの、本当の意味で普遍的なものと通じているものと理解しているんだけどね
―「そ、そうですかあ…いやあ何だか気が合うじゃありませんか、初めて会った気がしないですよ!…ところでぼくは今こんなのも読んでるんですよ、これは知らないでしょ?」
―日月神示…知ってるさ、神サマ関係の人でこれを知らないのはモグリだ
「そんなことはないでしょ!これはそんじゃそこらで手に入らないシロモノなんですから…」
―いや、Nさんの新書はどこでも見つけられる…(し、しまった、ここは30数年前だった)
「Nさん?誰?新書?まさかあ、一体誰が読むんですかね…それはともかく僕は大本で担っていた神仕組みを継承している霊的拠点を探しているんです。兵庫の但馬のあたりにもこの日月神示に似た神示を出してるところがあるんですけど、最近どうもソースというか、神の系統がオカシクなってしまったようで…」
―まあ、ゆっくりやり給えよ…君は近いうちさっきのベルジャーエフとその大本神業継承とやらの縁で、君の人生の転機となる出会いに巡り合うだろう
「まるで予言者みたいなこと言うんですね…なんですか?その出会い、転機っていうのは?」
―いずれ分かるさ、それにしても君は思想的こだわりから自由だし…又随分と目敏いんだね
「僕はトコトンまでいかない事には…どうしても僕の魂は落ち着くことが出来ないんです。これは僕自身にもどうにもならないものが有るんです
―…私にはねえ…君の中におそらく君自身の頭では分からない、なんていうか…その、サムシング、名状し難いドエライものが有るのをハッキリ感じられるよ!
「僕にも頭では理解出来ないんだけど、貴方の話を聞いてると、なんだか魂が揺さぶられるような感じがしてきてならないんです…」
―君は様々な縁を借りて自分の中で全てであって一なるものを見出そうとしているんだね…それは全て君の中のサムシングがやってることなんだよ!
「…と、ところで貴方は一体誰なんですか?とても他人とは思えないが…僕のオヤジ以上に僕みたいだ…」
―私?私は…ま、時空の放浪者とでもいうかな…
「訳分かんないが…僕はそろそろ帰らなきゃ、色々楽しかったよ」
大変だ!私は一体どうやって帰ればいいんだろう…帰り方は聞いてなかったぞう!
―君!済まんが今日泊めてくれないか、最近一人暮らしし始めたんだろう…
「エ、そんな話何時したかなあ?…ま、いいか貴方は放浪者っていうより浮浪者なんでしょ」
こうして私は選択の余地なく、彼と言う私自身のところに寄宿するハメになったのです。
(不定期投稿に続く)