人生の裏側

人生は思われた通りでは無い。
人生の裏側の扉が開かれた時、貴方の知らない自分、世界が見えてくる・・・

初めに喜び有りき

2014-12-14 14:49:00 | ガイダンス
気、波動…表現は様々ですが、何時頃から私に身に覚えるようになったのかはよく分かりません。
より鮮明に感じられるようになったのは、昭和54年初頭のあの変調辺りからだったと思います。
これは外的感覚(暖かいとか冷たいなど)として感じられる場合も有りますが、(人によって個人差もあるでしょうが)私の場合当初から内的感覚として知らされていました。
内的感覚と言いましても言葉では上手く伝わりませんけど…これが意識ととてもつながりが有る、という事も例えば何か霊的な書物を読んでいたら、内的な広がりや意識が高揚してくるといった経験から分かってきました。
似たような書物であってもどれでもいいという訳でなく、ある書物には顕著な反応をするのですが、なんでそうなるのか理由はよく分かりません。
意識と言っても、通常我々の頭の中を占めている表面的な思考に隠れていて分かりにくいですが、考えてばかりいたら感じられないものなので、逆から見たら分かったりします。
気、波動というのは喩えて言えば、乗り物でしょうか?
そう、タクシーみたいな。
でもそれに乗りさえすれば、勝手に素敵なところに連れて行ってくれる訳ではありません。
ちゃんと運転手さんに行先を告げなければならないですね。
その役目をしてるのが意識ということになるでしょうか?
でも行先に着いたとして、そこは本当に目差すべき素敵な場所なのでしょうか?
ガイドブックの見間違えという事も有るかも知れないのです。
意識はシッカリ目差すべきところに向いているのか、どうか…これは取りも直さず上部の思考の影響次第ということでもあるのですが…。
波動は意識の向かうところに赴く…
それがこちらが当初望んでいたものと方向性が違ってくるという可能性もある訳です。
もし、我々が本当の幸せというものを望んだとして、その場合の確かなナビとはなんでしょうか?
これはとても微妙なところです。
守護霊とかの導きでしょうか?守護霊と言ったら、一寸意味が心霊的なものに限定されてしまいますが…
私は何度も見えざる導師の導きを受けてきたなどと言ってます。
普通の人がそんな事聞いたらきっと怪しく思うでしょうね…。
でも人はそこに何とも言えない幸福感、喜びといったものが有れば、どうしたってそっちに意識が向いてしまうのではないでしょうか?
それでも「いや、これは何かの悪い霊に誑かされているんだ!」と疑う人は徹底的に疑った方がいいです。
何かが落ちるまで…。
中途半端な気持ちで守護霊にお伺いなんかしてるよりはずっといいです。
(それをすることが嬉しい、楽しいのであればアリかも知れませんが)
そのうち疑ってなど居られなくなるかも分かりません…。
私はとにかく霊的ガイダンスによるものか、内なる要求(内なる絶対的なものに繋がろうとする、日常意識の奥にある要求)によるものか…多分両方でしょう。この二つには相関関係が有ります。
ガイダンスによって要求に目覚め、要求にガイダンスが答えるという様な…
私の場合まず、初めに喜ばしきものが有り、それに勝手に意識が向けられていただけという気がします。
そしていつの間にかある種の回路が出来ました。
簡単にスイッチが入り、簡単に喜びの波動にアクセス?出来ます。
殆ど自動的という感じで、呼吸法やマントラといったツールには頼りません。
こう書いてると、もう難しくて心が折れそうですが、実際はこんな簡単な事は無いですね。
パソコンでもなんでも取扱い説明書ってヤツですが、やってたら案外簡単なのに難しくて読めない…
読んでて楽しくなってくるってのは無いですかね…。

コメント
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