人生の裏側

人生は思われた通りでは無い。
人生の裏側の扉が開かれた時、貴方の知らない自分、世界が見えてくる・・・

当たり前のこと

2014-12-01 20:00:04 | 身辺雑記
先日、ある喫茶店で結構な値段がするけど、美味そうなのでミソカツサンドというのを注文しました。
食べてみると、これがどうもミソの味が一向に感じられず、代わりにイヤな予感のする味がしてきました。
これはもしや、とよく見てみると…ぬ、ぬあんと…私が苦手なマヨネーズなんぞが塗られているではありませんか¡
な、なんチューことをしてくれたんだあああ…
すかさず、私は店員さんに向かって「おい、アンタの家ではミソ汁にマヨネーズを入れて食うんか!
マヨネーズのおかげで私の楽しい筈のランチタイムが台無しになったじゃあないか!金払わんゾ!」と食って掛かろうと…
思ったのでした…。
お騒がせして済みません…。
エッ、貴方のような人でも御乱心なさることもあるんですかって?
当ったり前じゃあありませんか!
こないだもある人に「私は何時巨大地震が起こるかも知れないのでコワイ…」と言ったら、貴方でもそうなんだ、と思うとホッとした」なんて…。
そりゃ、誰だってコワイでしょ!
数年前、あるスピリチュアルヒーラーが済ました顔で「精神的に目覚めた人がHなことに浸るなんてあり得ない!」なんて言ってましたが、そっちの話こそあり得ないと自信を持って断言出来ます!…
一体この私は聖人君子なんですか? 私のことをよく知ってる人が聞いたら笑い転げるかも知れない…
もっともある知人なんかは私がこのようなブログを書いてるのを知ったら、年賀状をよこさなくなるかも知れませんが…。(笑)
こういう話というのは本当に付いてまわるものですね。
目覚めた人というのはよっぽど普通の人と違うんだとか…
静寂の境地に居てやたらと心を乱したりしないんだとか…
別の観点で言うと、この世的にも幸運が続いて成功しているとか…
尊敬の目で見られることには変わりが無いようです。
人格の成長とか完成とか、何を差して言うのかは分かりませんけど、それとこれとは直結してはいません。
確かにそういう先入観は私にも有りました。
「何だって私は大いなる命というものを知ってるのに、何故いつもイライラしてなきゃならないんだろう…
そしていつも金が無いときてるではないか!」といつもボヤいてました。
多くの宗教家などがそういうイメージを作り出したとも言えます。
又今でもスピ系のセミナーでは特にこの世的な幸福、成功と結び付けて語られることが多いようです。
人間的成長も成功も悪くないですよ、
お求めの方は、お好きになされたらいいです。
でも無理して自分を理想のイメージに作ったり、人に見せたりするのは私はもうイヤですね。
疲れるので…
このように感じさせる根底には、「人間は成長したり、賢くなったりしても所詮五十歩百歩…どうせみんな寿命が来たら死んじゃうし…」
というのが意識に刻まれているためのようです。
ホントにどエライものはその限界を超えたところにある。
それはもはや一個人のことではない。
だから特別な人なんか居ないのです。
そのうち、そんな人は居なくなるか、みんな特別な人になるでしょう…。
ただ私の生活で一つ得をしていることが有るとすれば、皆と同じようにイラついたり、ヘコんだり、パニクったりすることは有っても、あまり後に引かないということですかね。
嵐は勝手に去って行くという感じで…
でもそれはどんな人も心がければそうなると思いますが…私は心がけたことは無いですけど。
エッ、ヤッパリ普通じゃないって?
そりゃあ、そうです、みんな一人一人違うんですから…。


コメント
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