いやあ、こうしてブログを書いてみて、つくづくSNSってのはスゴイなと思います。
超アナログ人間の私も兜を脱がざるを得ないですね。
パッと書こうとしたことが思い浮かび、こんな風に好き勝手な事書いて即発信…
実にライブな感じですね。
何やら書いてるうちにモヤモヤ立ち込めてきて、意識が変わりだし…なんてことになっててもライブ感覚で発信できる…
あなたの文章は脈絡がないのはその為ですかって?
いいえ、もともと私の頭が支離滅裂なためです(笑)
私は何かと問題の多い人間ですが、自分を本気で嫌いになったり、否定したことはありません。
ですので次の話はあまり私の理解が及ばない点もあります…。
自分が嫌い、嫌いな自分を変えたい、という人を何人か見てきました。
こういう人はなかなか幸福を感じる事が出来ないでしょうね。
嫌いだろうとなんだろうと、自分を受け入れないと寸時だって生きていく事は出来ません。
色々な判断を交えず、ただありのままの自分を受け入れるだけで、生かされているという実感が湧いてくるものです。
幸福感というものは、そんなところから来るんじゃないでしょうか。
もし、本当に今幸福なら今までの自分に対する観方は、違ったものに見えてくるはずです。
何故ならば、それまでの人生の軌跡というものがあったればこそ、今の幸福に巡り合える訳ですから…
あんなことも、こんなことも今の自分を育ててくれた種だったのです。
自分が好きになれない人は忌まわしい過去、忘れたい過去というものばかりに焦点がいってしまいがちです。
でも一度過去に光が当てられたなら、忘れていたはずの楽しかったこと、幸せだったことがふと蘇ってきたりします。
そして点のように散在しているように感じられたそれらの一つ一つが、全て今において一つにつながってしまうのです。
本当にリアルに何年も前のことが、現在のことのように生き生きと感じられてくるのです。
嫌いだった自分にも、可愛いな、と思える部分も発見できたりして…
抱きしめてあげたくなってくるでしょ?
過去の自分が居たからこそ、今の自分が有るのです。
この事をもっと掘り下げれば、我々の表側の人生の裏側でずっと生き通しているサムシングに気付くことも出来ます。
言うまでも無くこのものが過去に光を当て、永遠の今につなげてくれるのです。
もし、今までの人生が99パーセントミジメで無意味なものだったとしても、今このサムシングに気付くことが出来れば、その人生全てが今の至福につなげてくれたものとして受け入れる事が出来ます。
喩え、余命わずかであったとしても…
先日亡くなられた菅原文太さんは日々次のような心境で生きておられたと、夫人が語っていました
「朝(あした)に道を聞かば夕(ゆうべ)に死すとも可なり 」(論語)
「仁義なき戦い」のアンチヒーローは仁義に生きていたのでしょうか…
超アナログ人間の私も兜を脱がざるを得ないですね。
パッと書こうとしたことが思い浮かび、こんな風に好き勝手な事書いて即発信…
実にライブな感じですね。
何やら書いてるうちにモヤモヤ立ち込めてきて、意識が変わりだし…なんてことになっててもライブ感覚で発信できる…
あなたの文章は脈絡がないのはその為ですかって?
いいえ、もともと私の頭が支離滅裂なためです(笑)
私は何かと問題の多い人間ですが、自分を本気で嫌いになったり、否定したことはありません。
ですので次の話はあまり私の理解が及ばない点もあります…。
自分が嫌い、嫌いな自分を変えたい、という人を何人か見てきました。
こういう人はなかなか幸福を感じる事が出来ないでしょうね。
嫌いだろうとなんだろうと、自分を受け入れないと寸時だって生きていく事は出来ません。
色々な判断を交えず、ただありのままの自分を受け入れるだけで、生かされているという実感が湧いてくるものです。
幸福感というものは、そんなところから来るんじゃないでしょうか。
もし、本当に今幸福なら今までの自分に対する観方は、違ったものに見えてくるはずです。
何故ならば、それまでの人生の軌跡というものがあったればこそ、今の幸福に巡り合える訳ですから…
あんなことも、こんなことも今の自分を育ててくれた種だったのです。
自分が好きになれない人は忌まわしい過去、忘れたい過去というものばかりに焦点がいってしまいがちです。
でも一度過去に光が当てられたなら、忘れていたはずの楽しかったこと、幸せだったことがふと蘇ってきたりします。
そして点のように散在しているように感じられたそれらの一つ一つが、全て今において一つにつながってしまうのです。
本当にリアルに何年も前のことが、現在のことのように生き生きと感じられてくるのです。
嫌いだった自分にも、可愛いな、と思える部分も発見できたりして…
抱きしめてあげたくなってくるでしょ?
過去の自分が居たからこそ、今の自分が有るのです。
この事をもっと掘り下げれば、我々の表側の人生の裏側でずっと生き通しているサムシングに気付くことも出来ます。
言うまでも無くこのものが過去に光を当て、永遠の今につなげてくれるのです。
もし、今までの人生が99パーセントミジメで無意味なものだったとしても、今このサムシングに気付くことが出来れば、その人生全てが今の至福につなげてくれたものとして受け入れる事が出来ます。
喩え、余命わずかであったとしても…
先日亡くなられた菅原文太さんは日々次のような心境で生きておられたと、夫人が語っていました
「朝(あした)に道を聞かば夕(ゆうべ)に死すとも可なり 」(論語)
「仁義なき戦い」のアンチヒーローは仁義に生きていたのでしょうか…