人生の裏側

人生は思われた通りでは無い。
人生の裏側の扉が開かれた時、貴方の知らない自分、世界が見えてくる・・・

学問のススメ

2015-09-08 20:04:07 | 哲学・思想
つ、ついにあの何でもありの科学者Y氏がスピ・ビジネスに参戦! 一体どうなっていくのか全く予測不能です。
ナイナイづくしと何でもありのコラボってとこですか…
何年か前、伯家神道(これはさんとも関わりが深いとも言われる、由緒のある筋です…でもその継承についてはかなり疑わしい流派もいくつかあるとか…)の秘儀について本を出していましたが、アセンションとか異星人とか言ってる人とと同じ人物だという事に気づいたのはつい最近のことです。
学者と所謂ムー的な人との関係というのは時に棲み分けがハッキリしていて水と油のよう、時にミックスされると…これがもう、オカルト・ファンタジーもまことしやかな学説が加味されて、より奇天烈さが余計強まって…いや微妙なものがありますね…
ホントは私など、トンデモ云々と揶揄するのは大キライです。
オカルチックな話も悉く否定しません。
ただめったに飛んで行くことも無いですけど…
私にとっても、この学的なものとムー的なものの関係には微妙なものが有ります。
何人かの人には後者のように観られましたが…
確かに宗教的、精神的な探究が始まった大学3、4年くらいの時は何だかいつも現実感が希薄でエーテル界に居たような気分でした。
それが大学年の時小池辰雄先生との出会いから、徐々に学的なものに目覚め始めました。(大学卒業目前!)
何せ先生は表の顔はずっと高名なドイツ文学者、大学教授です。ドイツ語も堪能です。学問の世界で飯を食ってきたのです。ところが裏では”私しゃもう、異言が出てきて困る…ペラペラペラ…”と、何語だか分かりません!
そもそも私がその無教会的(無教会の先生方はほとんどが何らかの学者です)キリスト教に近づいた動機は、それまで関わっていた前世とか霊界とかいったオカルチックな雰囲気に嫌気が差したからです。
想像を逞しくしているだけでは生きていけないと悟ったのです!
この小池先生とのつながりで、ロシアの哲学者ベルジャーエフと出会い、より一層学的なものに親しむようになったのです。
(ただこの二人について言えば、オカルチックな言説以上にリアルにスピリチュアルなものを感じたものですが…)
以来、この学問的世界は私にとりある意味での”安住の地”です。そこでは有るのか無いのか、真偽のほどが分からない現実遊離の話からも自由だし、教祖様、先生絶対主義からも自由で居られます。
何も小難しい理屈など覚える必要も、私のように何の役にも立たない知識など覚える必要もありません、
楽しいことにハマるのはいいけど、しばし距離を置いてみるのはどうでしょうか?
これでいいのだろうか?本当に自分が求めているものなのだろうか、マッチしているのだろうか?…学ぼうという精神を養うのです。学的精神とは、物事を客観的に観る、諸々の先入観、思い込みから離れる、何より自分で考える、判断する精神です。
”ふわふわと何となく心地よいけど、何となく自分の意志と関係の無いところで、ことが起きたように何かが進行しているみたい…気が付けば財布も頭もカラッポになってた!”実に危うい! 歴史の局面もこんな風に展開されていくのではありませんか?
何となく世の中軍国主義…いつの間にか周り中マルキスト…気が付けば”ハイル・ヒットラー!”

しかし、世の中頭だけでことが済むはずが無く、論理や法則で神なんかわかるはずもないのも確かですね…。
第一肩が凝ってしょうがないです。こういう時はまたエーテル的なものなり、日本のピラミッドなり、トカゲ型異星人陰謀論なりで楽しめばいいのです。
戻って来れればの話ですが…
そう言えばベルジャーエフも言ってました。「ダーウインの進化論より、シュタイナーのアーカーシャ年代記のほうがずっと真実を伝えている…」

コメント (2)
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