「大爆発、木っ端微塵、茫然自失という体験は、ダンマの働きであり、ダンマの顕現であることが知られてきた。そしてその時、”ああ私はやっと目覚めることが出来た”と思った瞬間に、その時私そのものはすでにダンマの顕現からはみ出してしまった」(玉城康四郎)
何度か書いていますが、私が大爆発的な精神的目覚めに出くわしたのは、34年ほど前だったのですが、長いことこのことを人に語ったことも、ものに書いたりしたこともほとんど無かったのです。というより出来なかったと言った方がいいでしょう。
その理由はまず何をどう言い表していいか、言葉が見つからなかったという事です。何しろ事の起こりが全く晴天の霹靂のようなものだったので、何でそうなったのかも分からないくらいだったのです。
しかし、もっと大きな要因は、それを話そうとすると頭に血が上ってくるのがとてもよく自覚できるくらい自意識に捉われてしまい、それがブロックになったからです。要するに”私は目覚めた、ひょっとしたら悟った人になったんだ…”ということを誇示しようという、あまりにも人間的な思いがもたげてきて、これと”テングは何も話す必要は無い!黙っていろ!”というような内なる声との葛藤で固まってしまうからなのでした。
おそらくこの自意識過剰という性分は、幼少の頃から今現在でも有りますので、死ぬまでお付き合いせねばならないでしょう。それを自覚が出来るのが救いといったところでしょうか?
今思い返すとこの事は本当に別の意味でもブロックだったという事が分かります。
私の意識がこの精神的爆発に向き合い、その中へと踏み込むことが出来なかったのです。自意識でか別なるものでか(多分両方)、封印されていたように…
従って私はずっとその内実を理解することが出来なかったのです。ただその時の強烈な感覚というものはどっかにくすぶり続けていましたが…
そして平成10年の夏、何度か読んでいる冒頭の玉城康四郎先生の文章でしたが、この時初めて腑に落ちたように感じたのです。
これは本当にあたかも頭の中でごちゃごちゃとしていたものが、ストンと落ちたように実感されたものでした。
これは又玉城先生の理解ばかりでなく、小池先生や出口聖師、ベルジャーエフ、D会のM師、M女史…幾多もの有名無名の先達たちの理解とも一瞬にしてつながってしまったではありませんか!
目覚めの主体は個人ではない、ハタラキ御自体だったのです!
この気づきは容易く自意識に捉われてしまう私にとって、ホントに大きな意味をもつようになりました。(呪わしき自我の落としどころを見出した)
34年前のあの体験には、この理解が伴っていなかったのです。
そもそも体験というものが、この理解を見えなくさせてしまうのです。
体験する自分というものは無い…そこに至福、充足感というものがあっても、体験が去れば元の木阿弥になってしまうとは玉城先生が述べている通りです。
しかし、このように自分が体験しているという認識は、その精神的嵐が過ぎ去った後、日常的意識に戻った個的な私に映じられたものに他ならないのです。
実際は私はその嵐の渦中にあった時、言葉を超えたものに直接的に触れていたのです。個的な私は全一的な私に明け渡されていた(無くなったという訳では無い)という事を…
ただ如何せんこれをどう理解するということや、どう表し、どう伝えるかという通路は前述した理由で閉ざされていたのです。
あの時、初めて表側と裏側の回線がつながり、ある種の理解が生まれたように感じたものです。
それからというものまるで堰を切ったように、足りないながらも言葉が次々とあふれるように出てくるではありませんか!
以前とは打って変わって内側から”もっと大いに語れ、書け!”と迫られるように…
同時にいつもここで書いているような、現臨に包まれるような感覚を顕著に身に覚えるようになったのです。
これはどこまでも体験の内実そのものである、神的ハタラキに合わせられていくばかりであるのは言うまでもありません…。
何度か書いていますが、私が大爆発的な精神的目覚めに出くわしたのは、34年ほど前だったのですが、長いことこのことを人に語ったことも、ものに書いたりしたこともほとんど無かったのです。というより出来なかったと言った方がいいでしょう。
その理由はまず何をどう言い表していいか、言葉が見つからなかったという事です。何しろ事の起こりが全く晴天の霹靂のようなものだったので、何でそうなったのかも分からないくらいだったのです。
しかし、もっと大きな要因は、それを話そうとすると頭に血が上ってくるのがとてもよく自覚できるくらい自意識に捉われてしまい、それがブロックになったからです。要するに”私は目覚めた、ひょっとしたら悟った人になったんだ…”ということを誇示しようという、あまりにも人間的な思いがもたげてきて、これと”テングは何も話す必要は無い!黙っていろ!”というような内なる声との葛藤で固まってしまうからなのでした。
おそらくこの自意識過剰という性分は、幼少の頃から今現在でも有りますので、死ぬまでお付き合いせねばならないでしょう。それを自覚が出来るのが救いといったところでしょうか?
今思い返すとこの事は本当に別の意味でもブロックだったという事が分かります。
私の意識がこの精神的爆発に向き合い、その中へと踏み込むことが出来なかったのです。自意識でか別なるものでか(多分両方)、封印されていたように…
従って私はずっとその内実を理解することが出来なかったのです。ただその時の強烈な感覚というものはどっかにくすぶり続けていましたが…
そして平成10年の夏、何度か読んでいる冒頭の玉城康四郎先生の文章でしたが、この時初めて腑に落ちたように感じたのです。
これは本当にあたかも頭の中でごちゃごちゃとしていたものが、ストンと落ちたように実感されたものでした。
これは又玉城先生の理解ばかりでなく、小池先生や出口聖師、ベルジャーエフ、D会のM師、M女史…幾多もの有名無名の先達たちの理解とも一瞬にしてつながってしまったではありませんか!
目覚めの主体は個人ではない、ハタラキ御自体だったのです!
この気づきは容易く自意識に捉われてしまう私にとって、ホントに大きな意味をもつようになりました。(呪わしき自我の落としどころを見出した)
34年前のあの体験には、この理解が伴っていなかったのです。
そもそも体験というものが、この理解を見えなくさせてしまうのです。
体験する自分というものは無い…そこに至福、充足感というものがあっても、体験が去れば元の木阿弥になってしまうとは玉城先生が述べている通りです。
しかし、このように自分が体験しているという認識は、その精神的嵐が過ぎ去った後、日常的意識に戻った個的な私に映じられたものに他ならないのです。
実際は私はその嵐の渦中にあった時、言葉を超えたものに直接的に触れていたのです。個的な私は全一的な私に明け渡されていた(無くなったという訳では無い)という事を…
ただ如何せんこれをどう理解するということや、どう表し、どう伝えるかという通路は前述した理由で閉ざされていたのです。
あの時、初めて表側と裏側の回線がつながり、ある種の理解が生まれたように感じたものです。
それからというものまるで堰を切ったように、足りないながらも言葉が次々とあふれるように出てくるではありませんか!
以前とは打って変わって内側から”もっと大いに語れ、書け!”と迫られるように…
同時にいつもここで書いているような、現臨に包まれるような感覚を顕著に身に覚えるようになったのです。
これはどこまでも体験の内実そのものである、神的ハタラキに合わせられていくばかりであるのは言うまでもありません…。