私は動物を飼うのに、オリやカゴに入れたり、鎖でつないだりすることがどうしてもイヤだ。
世話をするのがメンドクサイからなのかもしれないけど、あのショボンとした顔して"出たいよ~、離してくれよ~、自由になりたいんだよ~"何て訴えかけられりすると、つい...
犬を飼っていた時など、幸いあまり家に帰ってこない、うるさいオヤジ以外家族全員ズボラだったので、放し飼いにしていたくらいだ。
これでメンドクサそな訪問者の相手をする必要もなくなるし。
その"ポチ"は、庭をところ構わず駆け回っていたものだが、度々柵を破って外へ逃走していた。
もっと鉄を廻らした頑丈な柵に替えてみたのだが、ポチは柵の下を掘って、トンネルにして脱走を謀っていた。
ポチときたら「大脱走」のスティーブ.マックイーンみたいにいつも脱走に執念を燃やしていたものだ。
そんな我が家にある日、一羽の可愛いインコが迷い混んできたことがあった。
全然逃げる素振りがない。人懐こい。
どっかで飼われていたのだろうけど、主が分からないので、そのまま自由に居させてみた。
いつもチョンチョンとサイドステップするように動いている。
飛べないのかな? 否、どういうわけか家族が"エサにありついている"時だけ、"ぱた、ぱた"と部屋中飛び回ってる。
"くれ、くれ"のアッピールなのだろうか? ご飯粒あげてみたら、"ウマイ、たまらんi"と、そのちっちゃい目を細め、恍惚の表情を浮かべたかと思うと、すぐうっとおしそうにクチバシを柱などに擦り付けてその粘着質を落とそうとしていた。
いつも"ぴーぴー"鳴いているので、"ピーコ"と名付けられた。
我が家にはもう一匹先住者が居た。小鳥の天敵ネコの"ミーコ"である。
ピーコは特にミーコを恐がってる様子は見せないが、ミーコの方はどうも当惑している様子だった。
虎視眈々と例の邪悪な目付きを時折見せて、じーっとピーコから目をそらさないのだが、私の方をチラッと見て"ねえ、ねえ、あれ襲いかかっていいのかなあ...食べちゃおうかなあ...でもなあ..."、と、何か思案しているようだった。
そして唐突にミーコに向かって"ぱた、ぱた"と飛びかかろうとすると..."やばっi"
ミーコは一目散に逃げるのだった...。
よく考えたら、この三匹たちはみな迷い込んできたのである。自由に居させて、いつのまにか居着いてしまったのだ。ミーコの先輩の先代のミーコなどは自由に、どこかへ行ってしまった。
そしてピーコも又僅か一週間くらいで、どっかへ行ってしまった。
飼い主のところへ戻ったのだろうか? それとも野生に? あんなに人懐こかったら、生きて行くのは大変だろう...
それとも自由に外へ飛び回りたかったんだろうか?
小鳥に自由意志があるのか、どうか分からないけれど...人間なら"そんなんは無い!"と言うだろう...
小鳥に、犬に、ネコに聞いてみなければ分からない..."ぴー、ぴー"、とか"わん、わん"、とか"にゃー、にゃー"しか言わないだろうけど...
もしも、ただすべてが決められている、摂理のままに生きているだけなら、何が自由で、何が救いかも分からない。
"自由だ、救いだ"と感じなければ何の意味も無い。
ただ例えば、ネコの気ままさを見ていると、人間どもが言っている自由など、コンピューターか何かでデータとして出されたものみたいに思えてくる。
自由の何かが保証されでもするのだろうか? 保証された、予め決められた自由など一体どこに自由などあるだろうか?
動物たちに自由が、救いがあるのかどうか分からないけど...オリに閉じ込めたり、鎖につないだりしたくはない。(飼うんならネコがいい)
世話をするのがメンドクサイからなのかもしれないけど、あのショボンとした顔して"出たいよ~、離してくれよ~、自由になりたいんだよ~"何て訴えかけられりすると、つい...
犬を飼っていた時など、幸いあまり家に帰ってこない、うるさいオヤジ以外家族全員ズボラだったので、放し飼いにしていたくらいだ。
これでメンドクサそな訪問者の相手をする必要もなくなるし。
その"ポチ"は、庭をところ構わず駆け回っていたものだが、度々柵を破って外へ逃走していた。
もっと鉄を廻らした頑丈な柵に替えてみたのだが、ポチは柵の下を掘って、トンネルにして脱走を謀っていた。
ポチときたら「大脱走」のスティーブ.マックイーンみたいにいつも脱走に執念を燃やしていたものだ。
そんな我が家にある日、一羽の可愛いインコが迷い混んできたことがあった。
全然逃げる素振りがない。人懐こい。
どっかで飼われていたのだろうけど、主が分からないので、そのまま自由に居させてみた。
いつもチョンチョンとサイドステップするように動いている。
飛べないのかな? 否、どういうわけか家族が"エサにありついている"時だけ、"ぱた、ぱた"と部屋中飛び回ってる。
"くれ、くれ"のアッピールなのだろうか? ご飯粒あげてみたら、"ウマイ、たまらんi"と、そのちっちゃい目を細め、恍惚の表情を浮かべたかと思うと、すぐうっとおしそうにクチバシを柱などに擦り付けてその粘着質を落とそうとしていた。
いつも"ぴーぴー"鳴いているので、"ピーコ"と名付けられた。
我が家にはもう一匹先住者が居た。小鳥の天敵ネコの"ミーコ"である。
ピーコは特にミーコを恐がってる様子は見せないが、ミーコの方はどうも当惑している様子だった。
虎視眈々と例の邪悪な目付きを時折見せて、じーっとピーコから目をそらさないのだが、私の方をチラッと見て"ねえ、ねえ、あれ襲いかかっていいのかなあ...食べちゃおうかなあ...でもなあ..."、と、何か思案しているようだった。
そして唐突にミーコに向かって"ぱた、ぱた"と飛びかかろうとすると..."やばっi"
ミーコは一目散に逃げるのだった...。
よく考えたら、この三匹たちはみな迷い込んできたのである。自由に居させて、いつのまにか居着いてしまったのだ。ミーコの先輩の先代のミーコなどは自由に、どこかへ行ってしまった。
そしてピーコも又僅か一週間くらいで、どっかへ行ってしまった。
飼い主のところへ戻ったのだろうか? それとも野生に? あんなに人懐こかったら、生きて行くのは大変だろう...
それとも自由に外へ飛び回りたかったんだろうか?
小鳥に自由意志があるのか、どうか分からないけれど...人間なら"そんなんは無い!"と言うだろう...
小鳥に、犬に、ネコに聞いてみなければ分からない..."ぴー、ぴー"、とか"わん、わん"、とか"にゃー、にゃー"しか言わないだろうけど...
もしも、ただすべてが決められている、摂理のままに生きているだけなら、何が自由で、何が救いかも分からない。
"自由だ、救いだ"と感じなければ何の意味も無い。
ただ例えば、ネコの気ままさを見ていると、人間どもが言っている自由など、コンピューターか何かでデータとして出されたものみたいに思えてくる。
自由の何かが保証されでもするのだろうか? 保証された、予め決められた自由など一体どこに自由などあるだろうか?
動物たちに自由が、救いがあるのかどうか分からないけど...オリに閉じ込めたり、鎖につないだりしたくはない。(飼うんならネコがいい)