人生の裏側

人生は思われた通りでは無い。
人生の裏側の扉が開かれた時、貴方の知らない自分、世界が見えてくる・・・

秘儀公開

2019-08-27 12:05:17 | 宗教
私はこの場で随分と私が秘匿していたことについて、そのベールを剥いで自分の言葉で書き表してきました。
秘匿、なんて言ってますが、隠したくてそうしていたという訳でもなく、言っても伝わらなかったり、変に誤解されたりで...好きで秘密主義者をしていた訳じゃないのですが...。
取り分け、秘密のベールで覆われていたことは、神との関わり、信仰的な部分でした。
"一体、何の神様を、何の宗教を信じているんだ?"と、何人もの人からそういう色眼鏡で見られて来たことかi
誰一人理解され無かったと言っていいのです。(何となく理解を示してくれたようだったのは、大調和協会の命位様くらいだったでしょうか?)
なるほど、私は幾つか宗教的団体とも関わり、それ相応の信仰生活も身に付けたりもしましたが、それは表向きと言ってもいいもので、裏面にあるものは、もっと内面的なもので別のものだったのです。
ある宗教的団体に帰依すると、そういう個人的、内的な信仰の在り方も表向きのそれと同化され勝ちになるようですが、私は一度もそうなったことはありません。
つまり何があろうと、どうなろうと私の"神の宮"は、他の誰にも侵されることの無い、知られることの無い、我が拠り所、避け所であったのです。
たとへ、他のことが明るみに出されても、これだけはずっと"至聖所"であったのです。
それがですi...私はこれまでずっとこの場で、惜しみ無くその秘儀、秘伝、秘仏を公開しているのですi(ロハでだi) こりゃあ、全く私の人生の一大事と言う他ありません。
して、その密儀というのは...何度も書いてることですが、ええい、面倒だ、大盤振る舞いしますよi

Oその行的部分..."秘仏"に意識を向ける これは、自然(じねん)的に、無為的に起こってくるものにゆだねるのがコツで、人為的、意念的なものに頼ろうとするのは逆効果!
他にやること...特に無しi
Oその効用...意識が自然(じねん)に中心に集まってくる。
どこが中心というのでなしに、意識されるところがそういう感じになる。
自然に、自分を超えたあるものに観られ、照らされるという感じになる...照明。
こうなると自ずと思念から離れられるようになり、"ゆだねる"ということも無理無く、自然にそうなって行く。それで愛、平安に導かれる。これも自分の念的意志でそういう状態になろうと図ることは逆効果i
O秘仏...本尊的なもの...現臨。自体が無相、無形なものなので、各宗教で呼び慣らされた本尊を適応させることも出来るが、思念で固定的に対象化させてしまっては生きたものにならない。

便宜的に三つに分けて書いてみましたが、すべて重なり合うことなので、別段意味などありません。とっても分かりやすいでしょう?...分からん?
そう、だから...ずっと秘儀秘伝のままだし、私もミステリアスなままなのです。
これはね、他の何ものでもない、あなたの神様に聞くに如かずなんですってi
そうしたら、あなたと私の秘儀が開示される...かもしれない。
コメント
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