※これは、五井先生と縁の深い、あるブログ主へのコメントのつもりで書いたものです。
M様、いつも拙ブログをお読み頂いているそうで有り難うございます。
余計なことかもしれませんが、私自身分からずに書いてたりするので、あまり分かろうとしない方がいいかもしれません。(笑)
僅かなりとも、読者の心に響くものがあればいいな、と思って書いている次第なのです。
ところで、私は所謂悟り系のスピについて随分書かせてもらっておりますが、私自身は悟り系とは思っておりません。
一時はそういう方を目指そうと思ったことはありますが、今は例えばその道を極めようなんてことは、業生ゆえ諦めているし、その思いから離れています。
今はもう、とにかく神(的なもの)がこんな私に迫られるのが、勿体なく、有り難くて...ただただそのものと共にある、一つにならんことを願うばかりなのです。
貴方は悟りの方と地上天国実現の方とを対比されているようですが、具体的な活動こそしてませんが、地上天国、神の国の実現という願いも私の中にはあります。神に迫られるとそういう風になるのが普通だと思われます。
五井先生も言われるように、自分自身を深めてゆくことと、地上天国の実現というのは切り離されないものなのでしょう。
少なくとも、私にはこの私自身平安(平和)というものが分からなければ、世界平和のことは分かりようがありません。
そして又、先生が言うには、"個々の悟りも世界平和も神無しには実現しないのだ..."と。内外を観るにつけ、実にその通りだと感じます。
「世界平和の祈り」の道については、肝心の白光会自体がそれを引っ込めている事態だし、挫折したように思います。
しかし、それが本当に失敗だったか、どうかは最後になってみなきゃ分からないのではないでしょうか?
このことは勿論五井先生に縁を持った個々についても言えることです。
貴方はいつも真摯に自分に向き合われていて好感が持てますが、本心を開くことが主眼だったはずが、妄想世界の住人を多く作り出してしまったことも失敗だったと思います。
結局のところ失敗だったか、どうかは他所の人間のことでなく、自分自身に照らされるものでしょう。
私については「世界平和の祈り」の道は、形の上ではとっくに挫折しています。この意味では失敗でしょう。
でも、そういう形、方便的なものによらない私自身の生、又世界の運命については、最後にならないと分からないと思います。
最後には神がモノを云うのではないでしょうか?
これも五井先生が度々言っていることです。
地上天国派の"大本"、出口王仁三郎師は、"あらゆる人間が名称はどうあれ、宗派を超えて各々の神に帰一すれば、地上天国は実現する"、と言っております。
私は五井先生にこのような普遍的な精神も見ているのです。多くの人が神とつながれば、地上天国が開かれるともアチコチで言っていました。
宗教も信仰も行法も廃れ、捨て去られる...人伝に聞く神は死んでしまったかもしれませんが、我々一人一人のうちに神は生き続けるでしょう。
私たちに神が表れますように...
と祈らされるようにいつも書いているのです。
今後とも宜しくお願い致します。
M様、いつも拙ブログをお読み頂いているそうで有り難うございます。
余計なことかもしれませんが、私自身分からずに書いてたりするので、あまり分かろうとしない方がいいかもしれません。(笑)
僅かなりとも、読者の心に響くものがあればいいな、と思って書いている次第なのです。
ところで、私は所謂悟り系のスピについて随分書かせてもらっておりますが、私自身は悟り系とは思っておりません。
一時はそういう方を目指そうと思ったことはありますが、今は例えばその道を極めようなんてことは、業生ゆえ諦めているし、その思いから離れています。
今はもう、とにかく神(的なもの)がこんな私に迫られるのが、勿体なく、有り難くて...ただただそのものと共にある、一つにならんことを願うばかりなのです。
貴方は悟りの方と地上天国実現の方とを対比されているようですが、具体的な活動こそしてませんが、地上天国、神の国の実現という願いも私の中にはあります。神に迫られるとそういう風になるのが普通だと思われます。
五井先生も言われるように、自分自身を深めてゆくことと、地上天国の実現というのは切り離されないものなのでしょう。
少なくとも、私にはこの私自身平安(平和)というものが分からなければ、世界平和のことは分かりようがありません。
そして又、先生が言うには、"個々の悟りも世界平和も神無しには実現しないのだ..."と。内外を観るにつけ、実にその通りだと感じます。
「世界平和の祈り」の道については、肝心の白光会自体がそれを引っ込めている事態だし、挫折したように思います。
しかし、それが本当に失敗だったか、どうかは最後になってみなきゃ分からないのではないでしょうか?
このことは勿論五井先生に縁を持った個々についても言えることです。
貴方はいつも真摯に自分に向き合われていて好感が持てますが、本心を開くことが主眼だったはずが、妄想世界の住人を多く作り出してしまったことも失敗だったと思います。
結局のところ失敗だったか、どうかは他所の人間のことでなく、自分自身に照らされるものでしょう。
私については「世界平和の祈り」の道は、形の上ではとっくに挫折しています。この意味では失敗でしょう。
でも、そういう形、方便的なものによらない私自身の生、又世界の運命については、最後にならないと分からないと思います。
最後には神がモノを云うのではないでしょうか?
これも五井先生が度々言っていることです。
地上天国派の"大本"、出口王仁三郎師は、"あらゆる人間が名称はどうあれ、宗派を超えて各々の神に帰一すれば、地上天国は実現する"、と言っております。
私は五井先生にこのような普遍的な精神も見ているのです。多くの人が神とつながれば、地上天国が開かれるともアチコチで言っていました。
宗教も信仰も行法も廃れ、捨て去られる...人伝に聞く神は死んでしまったかもしれませんが、我々一人一人のうちに神は生き続けるでしょう。
私たちに神が表れますように...
と祈らされるようにいつも書いているのです。
今後とも宜しくお願い致します。