人生の裏側

人生は思われた通りでは無い。
人生の裏側の扉が開かれた時、貴方の知らない自分、世界が見えてくる・・・

逆説的秘儀

2020-07-05 10:12:02 | 求道、探究
私がいつも書いているようなこと..."神に意識を向ける云々"、といったことは、掴みどころの無い話だってことは自分でも認めています。
しかし、謎めいた地下室の住人である私が、"私だけに伝授が許されていて、他には与ることが出来ないような秘儀"について書いている訳ではけっしてないのです。
それだったら、ずっと秘匿しとくべきものであり(そうでなきゃ地下室の住人、独り秘密結社などつとまりませんよi)、しつっこく何回も書いたりなどしてませんi ということは、当たり前のことながら、他に伝えようという意思を持っているということなのですi 堂々と秘儀を公開しているのですよi (ロハでi)
しかしながら、これを書き表すってのが難しいのです。それでもこれにより愛、平安...ひいてはエンライトメントに与る、ということは全く難しいことじゃありません。そう思うのは全くどうかしてますi
こんな簡単なことなのに、表現するのが難しいのは、あまりにもナチュラルなことだからでしょう。当たり前に自然に赴くようなことです。
そりゃあ、私はそこそこトシもくってるし、求道生活も長いし、色々経験もしてきています。
そういう積み重ねで、ああいうことが身についたのかもしれません。だけど、神と言わずとも、自分がもっとも愛しているものに無条件で惹かれてしまい、そのものに捉えられてしまうようなことは誰しもが経験していることなのではありませんか?
それで分かってもらえるでしょう。書き表すことが難しいってことが...理屈じゃないからです。
独自の呼吸法だのマントラだのがある訳じゃないし、何の神様、(ただの人間である)生き神様を拝む訳でもない...特定の宗教、スピの道に依拠してゆく訳ではない...ということは、私が言い表したいことは、秘密結社らしかぬことで、万人に向けられているのですi
ところが...宗教やスピで本当に愛、平安に与っている人は一体どのくらい居るのでしょうか? 
それらを求めているはずがかえって迷い、苦しみを抱えてしまう者も少なくないようです。
この理由はハッキリ分かります。自分にとって最愛でないものに囚われるからでしょう。神でないものを神にしているからです。
現実の自分に直接関わらない、異次元や未来や過去世などどうでもいいような空想ごとや、ちっとも自然(じねん)に赴く訳じゃないのに、何かの信仰や修行を信じ、やらなければならないと思い込む、思いに囚われる...何年も何年も続けなければ神とつながることは出来ない、と。
こりゃ、難しいはずですi 自分でワザワザ難しい道を作っているようなものなのですから...そして、一度そういうものに囚われたら、それを手放すということが至難のワザになってしまうのです。
そうすると信じてる神様に見捨てられて、永久に救われなくなる、地獄に落ちるみたいに感じており、自分にとって本当の神(的なもの)がどういうものかが分からないのです。
こういうことは、ひっきょう自分自身に意識が向けられない、というところから来るのでしょう。ありのままの自分を受け入れることが出来ない...。
最愛のものは、自分自身と離れては無い、そして自分自身であることほど、自然なことはありません。
こう書いていて、秘儀とか教外別伝とか言われるものの多くが、何でそう言われるかが分かるような気がします。禅では"至道無難"などと言う。
周りが勝手に難しく、秘密めいたものにしてしまい、あまりにも分かりすぎ、簡単すぎることなので伝わらないのでしょう。
コメント
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