スピリチュアルなことに関心を持っているのなら、「バシャール」のことを知らない人は居ないでしょう。
何でも、又々今年の八月が人類の未来に向けて大きな分岐点になるとか、如何にもこの時節に合わせたようなことを言っているようですが、何年か前にも、(いやいつもというべきか)、同じことを言っていたような...正直アタシャ、もう、"ゲップ"です!
大体、あのダリル.アンカってチャネラーの人、今でもそれを続けているってのがオカシイのです。
私が、ヴォイス社から出ていた本で、このダリル=バシャールを通じて"チャネリング"なるものを初めて知った、昭和63年夏の当時彼は(乗り移った存在を通じても)、数年後には、その職を引退すると公言していたからです。
彼がこの分野の創始者って訳でも無かったですが、その後続々と後継が表れるなど、空前のブームになってしまったのはご存じの通り...こんだけ、有名になってしまうと、大衆に取り巻く集合的思念に取り込まれ、精度も落ち、惰性にも陥ってしまうのも致し方のないことなのでしょう。
しかし、あの当時は全く知る人ぞ知るという感じだったのです。
そして、そのメッセージの内容は...勿論すべてがそうだった訳ではなかったですが、ある部分では、私にはじっつに画期的な、斬新なものに思えました。
例えば、今ではこういう言葉などゲップものなのでしょうが、"世界はあなたの意識が作り出している"、"あなたが意識したものが実現する"、"あなたが変われば世界が変わる"...
勿論、あなたの意識が変わっても、直ちにコロナ禍は終息したりなどしませんよ。しかし、こういう言葉のある面は今でも私には頷けるものがあります。
こういう説き方をする教師というのは、それまで、私が知らなかったというだけでなく、ほとんど存在しなかったと言っていいでしょう。
これは、精神世界に一つの大きなエポックをもたらしたのには違いないと思います。
具体的にどういうことかと言うと...ベクトルが変わったのです。(余計何のことか分からない?)それまでの宗教やスピの聞き手の心的態度というものは、ほとんどが信者のそれと言ってもいい...教師の言うことをただ信じ、従う...教えるものと信じるものの一方通行ばかりだったのです。
バシャールが強調していたのは、フォーカスするということ、意識的であること、主体的に関わること...つまり、あなたの人生、世界の主役はあなた自身だ、ということです。
初期のバシャールの本で、私が一番面白く読んでいたのは、やたらと出てくる、"質疑応答"で、何か非常にライブ感覚(この感覚を持ち込んだのも画期的でした)が伝わってくるものでしたが、この中で例えば、"私の前世は何ですか?"という質問について、(その回答にどんな意義、意味があるのかはさておき)ある人には懇切丁寧に具体的に答えるのに対して、ある人にはキッパリ、"答えられませんi"、と突っぱねてしまう場面が度々見られました。
この違いはおそらくバシャールは、質問者の意識の有り様に応じていたんじゃないかと思われます。そしてしばしば彼は質問者自身に"主体的に"、語ることを促していたのです。
"あなたがあなたの前世を知ったとして、それがあなたにどういう意味があるのか?"
バシャールは"エササニ"という全然聞いたことのない星から来たのだという。私はそんなこと信じようと、信じまいとどっちだっていいのですi...その他第三、第四密度とか、"何年後かに我々の存在はあなた方に公然の事実となります"、という実現した試しなどない予言のこととかも...
何よりも、バシャール自身が開口一番、"私の言葉を信じなくてもいいのです"と言っているではありませんか? (バシャール信者はどう思うだろうか?)
一方で、"無理に従う必要はありませんi"、と言っていた、売り物の一つの誘導瞑想は私には、思考マインドから離れるどころかますますそれが強まって来そうで、全く合いませんでした。
もしかして、あれはマインド.コントロールか何かを目論んでいるのでは?
このバシャール現象には、前述したような主体的な在り方を切り開いた面も感じますが、現在の在り方にも見えるように、まるで宗教信者が群がるような依存的態度も、その当時でも一部に伺われたことです。
これは、バシャール自身が意識してこういう、意識の在り方によって、異なった有り様に別れてゆくことを知って誘導しているのかもしれません。
良くも悪くも我々の世界は、我々が意識したように作られてゆくのかもしれません。
私にはずっとバシャールという(宇宙)存在は、20世紀末、我々日本人としても昭和の終わりに出現した、その善悪交々、新しい時代の傾向を広く一般に向けて告示する、トリックスターに思えてならないのです。
何でも、又々今年の八月が人類の未来に向けて大きな分岐点になるとか、如何にもこの時節に合わせたようなことを言っているようですが、何年か前にも、(いやいつもというべきか)、同じことを言っていたような...正直アタシャ、もう、"ゲップ"です!
大体、あのダリル.アンカってチャネラーの人、今でもそれを続けているってのがオカシイのです。
私が、ヴォイス社から出ていた本で、このダリル=バシャールを通じて"チャネリング"なるものを初めて知った、昭和63年夏の当時彼は(乗り移った存在を通じても)、数年後には、その職を引退すると公言していたからです。
彼がこの分野の創始者って訳でも無かったですが、その後続々と後継が表れるなど、空前のブームになってしまったのはご存じの通り...こんだけ、有名になってしまうと、大衆に取り巻く集合的思念に取り込まれ、精度も落ち、惰性にも陥ってしまうのも致し方のないことなのでしょう。
しかし、あの当時は全く知る人ぞ知るという感じだったのです。
そして、そのメッセージの内容は...勿論すべてがそうだった訳ではなかったですが、ある部分では、私にはじっつに画期的な、斬新なものに思えました。
例えば、今ではこういう言葉などゲップものなのでしょうが、"世界はあなたの意識が作り出している"、"あなたが意識したものが実現する"、"あなたが変われば世界が変わる"...
勿論、あなたの意識が変わっても、直ちにコロナ禍は終息したりなどしませんよ。しかし、こういう言葉のある面は今でも私には頷けるものがあります。
こういう説き方をする教師というのは、それまで、私が知らなかったというだけでなく、ほとんど存在しなかったと言っていいでしょう。
これは、精神世界に一つの大きなエポックをもたらしたのには違いないと思います。
具体的にどういうことかと言うと...ベクトルが変わったのです。(余計何のことか分からない?)それまでの宗教やスピの聞き手の心的態度というものは、ほとんどが信者のそれと言ってもいい...教師の言うことをただ信じ、従う...教えるものと信じるものの一方通行ばかりだったのです。
バシャールが強調していたのは、フォーカスするということ、意識的であること、主体的に関わること...つまり、あなたの人生、世界の主役はあなた自身だ、ということです。
初期のバシャールの本で、私が一番面白く読んでいたのは、やたらと出てくる、"質疑応答"で、何か非常にライブ感覚(この感覚を持ち込んだのも画期的でした)が伝わってくるものでしたが、この中で例えば、"私の前世は何ですか?"という質問について、(その回答にどんな意義、意味があるのかはさておき)ある人には懇切丁寧に具体的に答えるのに対して、ある人にはキッパリ、"答えられませんi"、と突っぱねてしまう場面が度々見られました。
この違いはおそらくバシャールは、質問者の意識の有り様に応じていたんじゃないかと思われます。そしてしばしば彼は質問者自身に"主体的に"、語ることを促していたのです。
"あなたがあなたの前世を知ったとして、それがあなたにどういう意味があるのか?"
バシャールは"エササニ"という全然聞いたことのない星から来たのだという。私はそんなこと信じようと、信じまいとどっちだっていいのですi...その他第三、第四密度とか、"何年後かに我々の存在はあなた方に公然の事実となります"、という実現した試しなどない予言のこととかも...
何よりも、バシャール自身が開口一番、"私の言葉を信じなくてもいいのです"と言っているではありませんか? (バシャール信者はどう思うだろうか?)
一方で、"無理に従う必要はありませんi"、と言っていた、売り物の一つの誘導瞑想は私には、思考マインドから離れるどころかますますそれが強まって来そうで、全く合いませんでした。
もしかして、あれはマインド.コントロールか何かを目論んでいるのでは?
このバシャール現象には、前述したような主体的な在り方を切り開いた面も感じますが、現在の在り方にも見えるように、まるで宗教信者が群がるような依存的態度も、その当時でも一部に伺われたことです。
これは、バシャール自身が意識してこういう、意識の在り方によって、異なった有り様に別れてゆくことを知って誘導しているのかもしれません。
良くも悪くも我々の世界は、我々が意識したように作られてゆくのかもしれません。
私にはずっとバシャールという(宇宙)存在は、20世紀末、我々日本人としても昭和の終わりに出現した、その善悪交々、新しい時代の傾向を広く一般に向けて告示する、トリックスターに思えてならないのです。