人生の裏側

人生は思われた通りでは無い。
人生の裏側の扉が開かれた時、貴方の知らない自分、世界が見えてくる・・・

あなたは一人じゃない

2020-07-26 11:09:54 | 雑感
このコロナ禍で、人間関係の分断化を余儀なくされる状況故からか、あちこちで、"あなたは一人じゃない..."と、"つながり"を意識させるような言葉を聞くことが多くなりました。
だけど、現実のこととして、周囲に誰も支えてくれるような人も居なくて、孤立してる人も多いんじゃないでしょうか?
他ならぬ私がそうなんです。友人もほとんど居なくて、家族も居ない、ペットも居ない...
しかし、これは決して気休めでなく、私はここ何年間も孤独に感じたことはありません。
元々が人間嫌いで、孤独で居ることに慣れているからなのかもしれませんが...
だって..."どうせ、僕のことなんか誰も分かってくれやしないんだ"...そう、昔は確かに疎外感というものが重ーく心にのし掛かっていたことはありました。
今じゃ、"僕のことなどそう簡単に分かってたまるかi"、と居直っている有り様です。
唯一の理解者は母だったかもしれませんが、この母からは"お前には神様がついているのよi"、と聞かされていました。このことを思うと、もう...
すぐさま、"じんじん"と全心身に命の律動感がみなぎってくる...命の主、あの御方と共にあることが実感されてきます。
キリスト教などでは、"インマヌエル"(神と共にある)と言いますが、キリスト.イエスご自身をそういう存在として呼び慣わしているのです。
イエスは、"我はブドウの樹"と言いましたが、私は初めて"人生の裏側"に足を踏み入れた時、正しくこの私という個体は、ブドウの一粒のようなもので、個にして全体的な連なりと一つである、ホロニックな関係性というものをそこに目の当たりにしたのでした。
"私は一人じゃないi...孤独、孤立というも、そもそもそういう有り様では私の存在そのものが成り立たないではないかi"
人は根本的に一人では生きられないのですi
こうした裏打ちがあるから、そういう実感が持てるのは確かなことですが、私は何も公に実証されてない、信仰みたいなことを信じてもらおうという気など毛頭ありません。
しかし、孤独感とか孤立した状態というものが、現実的に(見えるように)他の存在から切り離されて、文字通り孤立、自分一人の状態のこととして思い込み、負担に感じる必要も無いでしょう。
手を合わせれば、温もりが感じられる...耳を澄ませば、耳鳴りがきんきん、じんじんと体の律動が...自分一人でこんなものに与れるでしょうか?
そう、回りには与っているもので一杯なのです。
そして、人間は思っているほど単一な生き物ではありません。私が二重、多重人格だからそう言うのではありません。
確かに私は人間嫌いなところもありますが、それはたまらなく人間が好きなことの裏返しなのかもしれません。

ああ、この時勢だのに、朝っぱら三密などどこへやらで、オッサンどもがうるさいi あっちへ行けi 私は一人になりたいんだi 一人で安らいでいたい...この安らぎ、何という密な関係であろうi...これは、一人じゃ無理だi

コメント
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