私が最近通い出してる都内某所にある、歌を歌える"秘密クラブ"は、集う人には年配の人が多く(60代の私で年少の部類に入るだろう)、ロックなどはほとんど歌われることがありません。
そこでは、今や"中南米の名曲、秘曲を歌う人"という風に見られている私なのですが、最初"あなたはロックなんか好きじゃないでしょ?"などと訊かれました。"そんなこたあないi"
この問いかけには音楽の好みもさることながら、世代の相違というものをより感じます。しかし、その人(70代)は、音楽好きになったきっかけは、ラジオなどからのその時代のヒット曲に親しんだことからなのです。誰しもがそうだったのではないでしょうか?
私が音楽に目覚めた70年代初めの頃は、英米のヒットチャートへのロックの浸透は目覚ましく、この世代の人は誰しもが、その洗礼を受けているはずです。そして、ロックを通じて"一歩踏み越えた"人も多いことでしょう。
私も然りで、71年の初頭の頃、最初はストーンズ(ジャニーズじゃないi)なのでした。
ところが...私は生来のへそ曲がりらしく、友人が自分の守備範囲のものに入れ込みだすと、別のものに乗り換える、というヘンな習性があって、そこで目をつけたのが「ザ.フー」でした。以前ロックファンを自認する人間に「Who?、誰だ、それ?」って言われたのにはビックリしましたが、演奏力は、同じ世代のストーンズの比ではない、ことにベース、ドラムのリズム.セクションはロック史上最強の声も高いバンドです。
ところが...それも別の友人が守備範囲を侵し始めるや、「クリーム」(E.クラプトンが居たバンド。この頃は最強リズムセクションと言えばこっちが定説?だった)に乗り換える...して一年後には、"どうせ、こういうのは聴いたって分からんから誰も入れ込まんだろi"、なんてつもりでロック界一の奇才「フランク.ザッパとマザース」に手を染め、頭の中の花がパンクしそうなのをめげずに聴いたりしていたのでした。
「お前の中で一番醜いのは、お前の心だi」(ザッパの「俺たちは何のためにやってるかっていうと、金だi」という、"裏サージェント.ペッパーズ"のようなレコードに収められいた曲の一節)"ギクッi"
私は飽きもせず、こういうことを繰り返していたのです。(行くところまで行かないと気が済まないという、もう一つの習性が見え隠れしているようでもあります)
そして、お気づきのように、私はごくシンプルに自分の感性に従っている訳ではなかったのです。こんなのは邪道以外の何ものでもありません。好きなものに親しむのに見栄もプライドもありゃしないi
見方を変えれば、それは、"感性のアイデンティティ"とも言うべきものを探し求めていたとも言えます。ロックに熱中していた時代は、とにかく試行錯誤の連続という感じでした。(当時の人生そのものに置き換えてもそうですよi)
今でこそ、私は色んなジャンルの音楽に親しんでいますが、ロックばっかし聴いていたこのエイジは、せいぜい約4年間と短かったのです。
最後の一年74~75年くらいは、当時米国ロック界を中心に一寸した流行になっていた、ルーツ音楽志向に関心を持っていたのですが、これがその後、ジャズや中南米音楽へ目を向ける端緒となったのは間違いありません。その頃はヘンな習性は消えていました。というよりその友人関係も希薄になったようでしたが...
そして75年の秋、突然レコードを聴けなくなる事態が発生して、私の揺れ動くロック.エイジは終止符を打たれるのです。レコードプレーヤーがイカれたのです。(これが大きかったi)
この禁酒法時代のような制約の間、私は次の時代へ向けて着々と知識を蓄え、試行(試聴)も怠らず、準備を進めていたのです。
そして半年後、記念すべき新しいプレーヤーのターンテーブルに載ったのは、古典ジャズの「ジェリー.ロール.モートン」なのでした。
"揺れるロック.エイジは終わった!"...いや、ストーンズもフーも今でも聴いているし、カラオケの定番でもあります。
これはロック.オンリーでなく、ただ好きな音楽をヘンな拘りも、見栄も捨てて親しむという王道が開かれたということなのですi(これが人生の大きなターニングポイントではなかろうか?)
その頃から、世間では巨大なマーケットを誇るロックも私の中では傍流になってしまったのですi
まあ、何がメジャーで、何がマイナーなのか、サッパリ分からない"人生の裏側"の話であるのは言うまでもありませんが...
そこでは、今や"中南米の名曲、秘曲を歌う人"という風に見られている私なのですが、最初"あなたはロックなんか好きじゃないでしょ?"などと訊かれました。"そんなこたあないi"
この問いかけには音楽の好みもさることながら、世代の相違というものをより感じます。しかし、その人(70代)は、音楽好きになったきっかけは、ラジオなどからのその時代のヒット曲に親しんだことからなのです。誰しもがそうだったのではないでしょうか?
私が音楽に目覚めた70年代初めの頃は、英米のヒットチャートへのロックの浸透は目覚ましく、この世代の人は誰しもが、その洗礼を受けているはずです。そして、ロックを通じて"一歩踏み越えた"人も多いことでしょう。
私も然りで、71年の初頭の頃、最初はストーンズ(ジャニーズじゃないi)なのでした。
ところが...私は生来のへそ曲がりらしく、友人が自分の守備範囲のものに入れ込みだすと、別のものに乗り換える、というヘンな習性があって、そこで目をつけたのが「ザ.フー」でした。以前ロックファンを自認する人間に「Who?、誰だ、それ?」って言われたのにはビックリしましたが、演奏力は、同じ世代のストーンズの比ではない、ことにベース、ドラムのリズム.セクションはロック史上最強の声も高いバンドです。
ところが...それも別の友人が守備範囲を侵し始めるや、「クリーム」(E.クラプトンが居たバンド。この頃は最強リズムセクションと言えばこっちが定説?だった)に乗り換える...して一年後には、"どうせ、こういうのは聴いたって分からんから誰も入れ込まんだろi"、なんてつもりでロック界一の奇才「フランク.ザッパとマザース」に手を染め、頭の中の花がパンクしそうなのをめげずに聴いたりしていたのでした。
「お前の中で一番醜いのは、お前の心だi」(ザッパの「俺たちは何のためにやってるかっていうと、金だi」という、"裏サージェント.ペッパーズ"のようなレコードに収められいた曲の一節)"ギクッi"
私は飽きもせず、こういうことを繰り返していたのです。(行くところまで行かないと気が済まないという、もう一つの習性が見え隠れしているようでもあります)
そして、お気づきのように、私はごくシンプルに自分の感性に従っている訳ではなかったのです。こんなのは邪道以外の何ものでもありません。好きなものに親しむのに見栄もプライドもありゃしないi
見方を変えれば、それは、"感性のアイデンティティ"とも言うべきものを探し求めていたとも言えます。ロックに熱中していた時代は、とにかく試行錯誤の連続という感じでした。(当時の人生そのものに置き換えてもそうですよi)
今でこそ、私は色んなジャンルの音楽に親しんでいますが、ロックばっかし聴いていたこのエイジは、せいぜい約4年間と短かったのです。
最後の一年74~75年くらいは、当時米国ロック界を中心に一寸した流行になっていた、ルーツ音楽志向に関心を持っていたのですが、これがその後、ジャズや中南米音楽へ目を向ける端緒となったのは間違いありません。その頃はヘンな習性は消えていました。というよりその友人関係も希薄になったようでしたが...
そして75年の秋、突然レコードを聴けなくなる事態が発生して、私の揺れ動くロック.エイジは終止符を打たれるのです。レコードプレーヤーがイカれたのです。(これが大きかったi)
この禁酒法時代のような制約の間、私は次の時代へ向けて着々と知識を蓄え、試行(試聴)も怠らず、準備を進めていたのです。
そして半年後、記念すべき新しいプレーヤーのターンテーブルに載ったのは、古典ジャズの「ジェリー.ロール.モートン」なのでした。
"揺れるロック.エイジは終わった!"...いや、ストーンズもフーも今でも聴いているし、カラオケの定番でもあります。
これはロック.オンリーでなく、ただ好きな音楽をヘンな拘りも、見栄も捨てて親しむという王道が開かれたということなのですi(これが人生の大きなターニングポイントではなかろうか?)
その頃から、世間では巨大なマーケットを誇るロックも私の中では傍流になってしまったのですi
まあ、何がメジャーで、何がマイナーなのか、サッパリ分からない"人生の裏側"の話であるのは言うまでもありませんが...