人生の裏側

人生は思われた通りでは無い。
人生の裏側の扉が開かれた時、貴方の知らない自分、世界が見えてくる・・・

憂愁なる幸福

2020-09-10 09:49:06 | 独語
私は今までに全身で、心の底から喜びを表したことがあっただろうか?
屈託のない笑顔、遠慮を知らないオーバーな仕草、デカイ声...
ああ...憂鬱だi うるさいi うっとおしいi
なるべくそういうものとは接したくないi
小さい頃、母にプールに連れて行ってもらった時、プールの中で母に向かって思いっきり喜びを表したことがあった
しかし、それはそういうフリをしていただけだった...そういう私を見て、いつも病気勝ちで、冴えない表情している母が喜んでくれたからだ...
クラスで、休み時間になるとアチコチで、わいわいガヤガヤと"騒音"を投げかけてくる塊が出来た
"お前はどうして皆と一緒に楽しまないんだ? いつも憂鬱な顔して何が楽しいんだ?"
ほっといてくれi その要らん気遣いこそが憂鬱の種だってのに...
会社の飲み会やらの"騒ぎ"ほど苦痛な時間はないi ゲコだということもあるが、何が楽しくて"かんぱーいi"なぞやらなきゃならなんだi
"楽しそうな顔をしなければならないi"という空気...何という責め苦だi

ベルジャーエフは「私は人生の幸福な機会において、最大の憂愁を感じた」と言った
彼は憂鬱と憂愁とを区別していた
そうなんだi それでこそ、私の居場所が見つかるというものだi この違いは実に大きいi
私が一寸ばかし、メランコリックになってたからと言って、何で幸福でないと決めつけるのかね?俗人の皆さんi
"あなたは今、深い悲しみを抱えているみたいだけど、それは時間が解決してくれますよi"
冗談じゃないi 私はこの憂愁なる幸福の時間を失いたくないのだi
ああ...どうかこの哀切に満ちたひとときが、日常の喧騒の中に消えてしまわないように...
私に固有な幸福感は、多くブルーな気分と共にあった...
それは確かに哀しい...しかし、苦しみはない...月の光にも似た淡い輝きがある...
ここには失われたものの悲しみがある...失われてゆくものの悲しみがある...
すべてが明るく、ポジティブではない...すべては愛?
私はこの陰影をもった光を通して、初めて血潮と共に流れるような愛というものを知った気がする...
今、"失っている"ということには、"帰る"、"復活する"、"再びやって来る、会える"ものへの待望がある
このゾクゾクする待ち望みにこそ、喜びは感じられないだろうか?
失っていることは、何もかもが無くなったということではないのだ!
何もかもが有り、何もかもが無かったなら、一体何を愛したらいいのだろう...
失われたものの悲しみ、失われてゆくものの悲しみ...
それは人間に特有の幸福な気分ではないだろうか?
だが、落ち着きのない世の中は知ろうとしない...

ああ...暑い中にも秋の虫がさえずり始めた
私の季節がやって来たようだ...

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする