人生の裏側

人生は思われた通りでは無い。
人生の裏側の扉が開かれた時、貴方の知らない自分、世界が見えてくる・・・

現実に臨むこと

2020-09-19 09:00:07 | 雑感
ブログを書くにあたって、"今日はこういうことを書こう"、と一応テーマというものはいつも考えています。当たり前ですよね。
これはスピ的なネタについてですが、けっして霊感のまにまに、自動書記のように文章が出てくる訳じゃありません。
ただ、夜中が多いのですが、目覚めの時、じんじんと"現臨"にあるような意識状態になっていて、何かの啓示めいてますが、そこで表現したいことが強く迫るように感じられたら、そちらを優先的に書くことが多いのです。
これはとても臨場感を持っているということ、今の現実に感じているということなのです。
表される内容は、いつも書いていることの繰り返しもあるかもしれません。
でも、その"現実に臨んでいる"ことを書き表すことに駆られざるを得ません。
現実に臨むことは、いつもの繰り返しではあり得ないのですi
同じようなことが起きたとしても、そこで与ることは毎回が"なう"なことなのですから...
ただ、如何せん、表現が拙いのと、言葉の限界などにより、上手く読み手にその"生きた現実"が伝えられるか、どうか分からないという次第なのです。
本当に伝えたいことというのは、読んで、聞いて、考えて分かったつもりになるような抽象的な教えとか理屈じゃないのです。
しかし、毎回がそんな感じで書き表される訳じゃありません。
悪い夢でうなされて目覚めることだってあるのです。
色んな雑念が飛び交っていて、あの明晰な意識状態とは程遠いことになっている時もあります。
そういう時は、知恵不足の頭からひねり出すように書いちゃうこともあります。
"そんな時は無理に書かんでもいいのかなあ...ロクなことは伝えられないし..."、と思うこともしばしばです。
だけど、そんな調子で書いていて、いつの間にか"じんじん"としてきちゃう場合もあるから分かりません。
神的なものに意識が向けられるためです。
どこまでも"現実に臨むこと"にあって、書き表すことが主眼なのです。
"人を説き伏せようとか、多くの人に認められたいとか、へんな色気が出るようだったらさっさと閉じてしまおう..."
そんな訳でブログを書くことは、何よりも私自身が"生命の光"に与らんがために他なりません。
そのことにより、わずかでも共感され、そのものが伝われば、ということが今の私の"現実に望むこと"なのです。
コメント
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