"何で私に、こんな今生で味わえないような恩恵が与えられるのだろうか?
少しも取り柄の無い、性格も捻じ曲がって、到底改善の余地など無い、この私に..."
初めて神の愛の一撃を受けた時、こんなことが過ったが、それは今も同じだ...
いつも発信していることにどのくらいの人が共感しているのか、これは全くほんの一握りの人にしか伝わらないものなのか、あらゆる垣根を超えた普遍性に通じたものなのかは分からないが...
これはもしかして私が思っている以上に、比類の無いものなのかもしれない...
この私が臆面もなく語ることは、全く場違いな、不相応なことなのかもしれない...
私は今、臆面もなく、"私は私で無いほど私自身になる"、などと言い表すことを許されている
許されているということは、現にこうして言葉に表せるということだ
あの劣等感が強く、それと隣り合わせの、キツネもたじろぐような高慢な思いに支配される、この私が...
確かにあれは許されていなかった...ああいう言葉はどうしても出てこなかった...
私の捻れた精神が改善されたなどとは思っていない
でも、出てしまう...それは捻れた精神とは別に、それが絶たれた場所で、全心身が震えるような歓喜の中で、紡ぎ出されるものだ
つまりは...この私からは出てこないi
この業生の私の到底与りしれないことなのだ
何で、ずっと日の当たらない片隅で蠢いているようなこの私に...
もっと相応しい人間ならいくらでも居そうではないか?
私という人間は信用出来ない...そう、誰からも信用されていないi
だから、私の語ることなど、誰も信用しなくて当然だ
そうだi 簡単に信じちゃいけないi
そんなに安っぽくはないi
信じたらどうにかなる宗教なんかと同類にしないでもらいたいi
あの教え、この教え、メソッド...数多ある、そんじゃそこらにあるものと同類にしないでもらいたいi
魂が揺すぶられることに安っぽいものなど何も無いi
一人一人の内に息づいているものは何一つ安っぽくは語れないi
それは全くもって我々の思いを超えたものなのだi
だから...思われたままの自分の言葉を信用してはならないのだi
"私以上に私そのものの私が居る"
それはこの私からは出てこない
だから...この私、私の言葉は信用出来なくても...
あなたの神に絶対の信を向けて欲しい...
少しも取り柄の無い、性格も捻じ曲がって、到底改善の余地など無い、この私に..."
初めて神の愛の一撃を受けた時、こんなことが過ったが、それは今も同じだ...
いつも発信していることにどのくらいの人が共感しているのか、これは全くほんの一握りの人にしか伝わらないものなのか、あらゆる垣根を超えた普遍性に通じたものなのかは分からないが...
これはもしかして私が思っている以上に、比類の無いものなのかもしれない...
この私が臆面もなく語ることは、全く場違いな、不相応なことなのかもしれない...
私は今、臆面もなく、"私は私で無いほど私自身になる"、などと言い表すことを許されている
許されているということは、現にこうして言葉に表せるということだ
あの劣等感が強く、それと隣り合わせの、キツネもたじろぐような高慢な思いに支配される、この私が...
確かにあれは許されていなかった...ああいう言葉はどうしても出てこなかった...
私の捻れた精神が改善されたなどとは思っていない
でも、出てしまう...それは捻れた精神とは別に、それが絶たれた場所で、全心身が震えるような歓喜の中で、紡ぎ出されるものだ
つまりは...この私からは出てこないi
この業生の私の到底与りしれないことなのだ
何で、ずっと日の当たらない片隅で蠢いているようなこの私に...
もっと相応しい人間ならいくらでも居そうではないか?
私という人間は信用出来ない...そう、誰からも信用されていないi
だから、私の語ることなど、誰も信用しなくて当然だ
そうだi 簡単に信じちゃいけないi
そんなに安っぽくはないi
信じたらどうにかなる宗教なんかと同類にしないでもらいたいi
あの教え、この教え、メソッド...数多ある、そんじゃそこらにあるものと同類にしないでもらいたいi
魂が揺すぶられることに安っぽいものなど何も無いi
一人一人の内に息づいているものは何一つ安っぽくは語れないi
それは全くもって我々の思いを超えたものなのだi
だから...思われたままの自分の言葉を信用してはならないのだi
"私以上に私そのものの私が居る"
それはこの私からは出てこない
だから...この私、私の言葉は信用出来なくても...
あなたの神に絶対の信を向けて欲しい...