人生の裏側

人生は思われた通りでは無い。
人生の裏側の扉が開かれた時、貴方の知らない自分、世界が見えてくる・・・

もはや夢じゃないi

2021-01-20 11:53:27 | スピリチュアル
"今朝は何とも清々しいなあ...何かこう、この新鮮な空気が体で感じる心地よさを通り越して、身も心もすべてを覆って、浸透してくるようだよi...ただ、こうして立っているだけで...ほーら、来た、来たi...じん、じん..."

誰と話していたのか定かでないのですが、いつか見た夢のことです。夢の中で"じん、じん"と現臨というか、霊なるものに与っていたのです。
普通は夢から覚めたら、"ああ、夢だったかi"で終わるのですが、その感覚はこの現実においても続いていたのです。
まあ、大概は二度寝をしたら、すっかり消えてしまうのですが、何とかそれをキープしようとか思っている間に、微睡みの中に...ってどうしてもなってしまうのですが、自分の思いでどうとかしようというのは邪念かもしれないし、それでいいのかもしれません。
こういうことは、何年か前、今生で一度もお目にかかったことの無い、手島先生から按手(手をかざすこと)みたいなものを受けた時などもそうでしたが、覚えている以外にも結構あるようなのです。もしかしたらあまり意識的になっていない、幼少の頃からあったようなのです。
これは、自分の側からそうなろうと思ったって、目論だってそうなりゃしません。
それとは別に、"祈り心を持って寝に付く"ってことは(私などそうしようとして、いつの間に寝てしまうことも多いのですが)いいと思います。それを何か百発百中みたいに思うのはオカシイですよ。与れるものというのは、与り知れないものなのですから...
で、こういうことが私がスピリチュアルなことと感じていることなのですi
スピリチュアルな事態というのは、人間の思いを超えている...自分の思い、力、信仰、修行などに頼り、満足し、その圏内を超え出ないところには決して開かれてこないでしょう。
そこで例えば、霊界の様相はこうなってるとか、次元上昇みたいなことが語られようと、思考圏内をぐるぐる回り続けるものなどに、スピリチュアルな息吹など何が感じられようかi
こういうものの多くは、人が言っていたことに追従し、持ち回しながら取り沙汰しているだけなのです。
これは、如何にも私的なことを言っていると言わざるを得ません。しかし、私自身がアリアリと感じないスピリチュアリティなどあってたまるか、ってんですi
私には、昔から自分の思いを超えたものへの希求があったのです。こういう希求、祈りから霊なるものが開かれる...それはどこまでも一人一人の内奥からでしょう。
昔のことはよく覚えていないせいもあって、夢とも現実ともつかない世界をさ迷っていたようなところがありました。
しかし、それは確かにこの身に覚えられていたものだったのです。
あの、アリアリとした神的な、スピリチュアルな現実につながっていたのです。
今の我々の現実は、一寸前からは想像もつかない悪夢のような現実の中に居るようです。私は今でも実感が持てないくらいです。
でも、どんな現実の中にあっても、スピリチュアルな現実は貫き通されてあるのです。
アリアリと感じるものは、もはや夢じゃないi ...夢も現実も超えているのです。
この見える現実が夢のように感じられれば感じるほど、夢から覚める日は近いでしょう。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする