人生の裏側

人生は思われた通りでは無い。
人生の裏側の扉が開かれた時、貴方の知らない自分、世界が見えてくる・・・

私が歩く人間だった頃

2021-01-28 11:39:31 | 回想
愛用していた原付の"くーちゃん"を手放すことになった私は、先日、所要で電車にして二駅ほどある駅まで歩いて行くことにしました。
"ああ、めんどくさi"...と最初は思ったのですが、歩いているうちに段々昔の記憶が、"足元から上ってくるようにも"甦ってきました。
"私は、とにかく歩く人間、歩くことが好きな人間だった...I was a walkin' man"
間違っちゃいけないi "ワーキン マン"("働く人間"...それは絶対無いi)じゃない、"ウオーキン マン"(歩く人間)ですi
特に40年くらい前はやたらと歩いていたものです。
お金が無くて交通費を浮かせよう、ということもありましたが、自然と足がそっちに赴いてしまうことしばしばでした。
当時中野に住んでいたのですが、一番よく行ったのは確か池袋か? そこへは何かの目的があったこともありましたが、練馬、板橋のどっか...池袋までの道を間違えて行ってしまったことも含め、大体目的なんか無かったですよ。
今日は北、明日は南、そんで東、西と...全く気の赴くままです。(何故か、自然と北へ行く傾向は今でもあります)
原付を飛ばすことを考えると、何という効率の無さ、時間と体力の無駄であろう...一体、私は当時どういう生活をしていたのであろう...
しかし、時間の無駄ってなんだi...もう、にわかに頭の中から何かが抜け落ちたみたいです。
時間に追われ、縛られることが時間の無駄なのではないのか?
私は何故40年前、しばしばウオーキングに駆られていたのか...アリアリと思い出しました。
じっとしておれなかったi、歩き出さずに居られなかったのですi こうなると、時間に追われるというヒマな時間をもて余してなど居られません。何で時間の経過など惜しんで居られようかi
何故って?...喜ばしいことに、幸福に感じてしまったから...どうして?
さあ?...当時、よくウオーキングに付き合ってくれたヒマそうな友人も「何で、どうなったら、そういうことになるんだ?」と首をかしげていましたが、当時は私にもよく分かりませんでした。
本を読んでいてそうなるというのはよくありましたが、今から思えばこれは自明のことです。
意識が何かに向いちゃっていたからですi
時に、高揚とした気分になって、どこをどう歩いていたのか記憶に無くて、気が付けば家に戻っていたということもありました。(我ながら、ホントにヘンな人間だったみたい...今でも?)
思えば、私の精神的な歩みというのは、こんな風なことのようです。
気が付けば、"人生の裏側"に足を踏み入れてしまった...
気が付けば、愛、平安、リアリティに与っていた...そこはホームなのだろうか?
あれは本当に40年前のことなのか?
何だか、じっとしておれなくなってきたが...
コメント
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