人生の裏側

人生は思われた通りでは無い。
人生の裏側の扉が開かれた時、貴方の知らない自分、世界が見えてくる・・・

やり方でなく意識の在り方

2023-02-16 09:38:05 | 求道、探究
私がチョイと知ってる反面教師の画伯が又、トンデモないことを発信していました。
例によって、誰かが言っていることを真に受けて、この度のトルコ~シリアの大地震は東京で起こるはずのものがまつり代えられたと言うのです!
私もそういうことはチラと思うことはあっても、何故こうも何ら確証の無いことを“真相はこうです!、などと平然と言えちゃうのでしょうか?...遠い国のこととはいえ、一体被災者、関係者が聞いたらどう思うでしょうか!?
漠然と思うに留めていることと、内省もせずに発信の実行をしてしまうことは、現実には犯罪者となるか、ならないかというくらい大違いなのですよ!
こういうことを言う方も聞いた方も、何か“ざわざわ“と、前回書いたこととは真逆の、意識がある中心から離れて、分裂気味になる感じがしてくるものです。
この御仁、苦節40年以上に渡る修行により、業想念はあまり出なくなったそうですが、ずっと陰謀論だの妄念に囚われているのです。その“統一行“という、修行の中身がどんなものだったのか、自らバクロしているようなものではないか!
こんな“黄印“のタワゴトなどほっとけばいいとも思うのですが、二年間その無駄な“統一行“に付き合わされた因縁もあるし、敬愛する五井先生がらみでつい突っ込みたくなってしまうのです。まあ、修行が足りんのでしょう?
私は五井先生が主導した統一行を続けることにより、皆あんな風になる、なんてこた勿論言うつもりはありません。
あれは、道場の行事として、自力では難しく、何にどう精神を統一していいか分からない、初心者向けに五井先生が誘導していたはずのもので、自然に意識が統一される(中心に収斂される)のが掴めたら、自然にそういう形からは離れるのが普通だと思うのです。
何十年もその、“指導用テープ“に依存しなければならない(そういう思いに囚われている)、というのはおかしいですよ!
いちいち、テープのセットをしなくてはならないなんて!...いつでもどこでも、意識が向きゃあ、始まるんだっつーのに!
そこで思うに、こういうことは、ある決められたやり方自体によって、その向かう先が決まるというものでなく、一人一人がどういう意識で臨んでいるのか、“意識の在り方“によって決まる部分が大きいのではないか、ということなのです。
いつも、どういう方に意識が向けられているか、集められ、満たされているのか?...
だから、同じやり方で同じように導かれるなんてことは聞いたことありません。
第一、そういう画一的やり方には向き、不向きというものがどうしたってあります。これに気付くか、どうかでも大きく変わると言っていいでしょう。(先の行などは、内なるものにつながるところ、音声として自分の外側に意識が行ってしまい、私には不向きでした)
ある人は悟道に導かれるかもしれないし、又ある人は飽きもせず妄言を発し続けているように...
反省、内省ということも無しに...これはもう、精神の道を歩む上で致命的なことと言えるでしょう!...
コメント
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