人生の裏側

人生は思われた通りでは無い。
人生の裏側の扉が開かれた時、貴方の知らない自分、世界が見えてくる・・・

真の公理

2023-02-11 10:18:06 | 宗教
”相克、不調和の種となるような数多の異なる宗教の教えなどすべて消えて無くなってほしい!”...この願いは叶えられた!
思いを超えてこちらに臨むものを神と呼ぶのなら、神によって!
いや、消えるもなにも、その前ではすべての神、真理についての教説は、そのように各々の都合勝手に述べられる、ただの言葉の羅列、理屈ごとに過ぎなくなってしまうのです!
これは、我々本来の自由な精神に根強く巣くう、神、真理にまつわる絶対的権威への隷属からの解放とも言えるでしょう。
そして、ついに知り得たのです。不変、普遍的真理なるものを!...そ、それは?
言えるか!、んなもん!...言えることはただ一つ!...言葉に表せる真理など何一つとて無い、ということに尽きるでしょう!
要するに、神的な顕われの前では、すべての言葉、理屈は黙すしかないということです!
万人に通ずるであろう教えとは、沈黙、無であった!
逆説的ですが、古今東西のあらゆる人間はそうならざるを得ないでしょう!
いや、しかし...何故私はすべての人間の心を代弁するようなことを言っているのだろうか?
分かっているのでしょうか?...知らん!
でも、言えちゃいますよ!...これを読んでるあなたはどうなんですか?
分かっても分からなくても感じて来ないですか?...分かってる私やあなたなど居なくてもいいのです!...
カソリックとは、元々公教的な、普遍的教えという意味があるそうですが、我々一人一人の実存に照らせば、それが一個なる私の主観によらない、真の”おおやけ”、公共、普遍なる在り方を示すものではありませんか?
それは、出るところへ出たら、誰しも納得させられるでしょう?
神は何次元の存在だとか、唯一神だとか、汎神論、無神論...あらゆる決めつけらた教説というものは、すべてこの無なる公理からは浮いた、普遍性から切り離された異端の教説ではないのか!?
これが、いつの時代においても自称神の代理人、自称覚者たちが厚しくも繰り広げてきたことへの強烈なカウンターでなくて何であろう!
その公の教えについて、感じ方というのは各々自由でしょうが、そこにある固定的な理を付することは出来ません。
如何なる真理らしき教えもこの逆説的公理からはズレたものとなる...それはあなたの内側から来る!、内側に息づいているのです!
だから...あなたの、真実を知りたくば、”あなたの神に聞くべし!”、なのです!
それは、私やあなたにとり絶対的な意味を持っています!...しかし、その絶対性が一度外側に向けられ、大勢におもねられるや、悪しき相対地獄に堕してしまうのです!...だからゼッタイ言えない、言葉が出て来ない!
私を超えたものがモノを言うのですから!...
然るに、我々自らはこの相克、不調和を収束させることは不可能でしょう。
されど、私は日に日にあの御方、御自ら顕わにされるのを感じてやまないのです!
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